心がよろけそうなときに読むポンコツ日記

心がよろけそうなときに読みたくなる日記を目指してます

ぶっちぶりぶり

 

近況です。

 

①あしみのさんid:asiminoのブリ純度が高い。ブリ界隈はひっそりとかつ根深く活動している。何気に相互の活動を見守っている。

 

Googleはなんでも検索させたら良いもんでもない。バチェラーシーズン1を見終えて満足したのだが、バチェラーでググるとトップに誰が勝ったか名前が表示されてしまう。個人的にはバチェラー公式HPをトップ表示にしてもらいたいけど。ピュア度では森田推し。人間的にはえり子と鶴さんが際立ちすぎる。ネット配信番組ナメてた。シーズン2は1話だけみた。連休中に視聴をすすめたい。

 

③暑い

エアコン2機フル稼働である。鉄筋コンの最上階だし仕方ないのだが、熱がこもってやばい。

 

④引越ししたい

もう少し利便性の高くて暑くないところに引越したい。港区とか千代田区の要所の賃料を調べて驚いた。あんな高いところに誰が住んでるの?

 

⑤健康について

夏はお腹を下したり便秘になったりするから気をつけてください。ブリストル便形状スケールを参考にしてください。

 

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人あたりの良い人間にはなれそうにない

 

ある程度周囲に対して好意的でありたいという思いがあった。それは一緒にいる他人に嫌な思いをして過ごして欲しくないという、他人のためという皮を被った私の願望であるのだが。どんな人に対しても関心を向けていよう。例えば髪を切っていたら素敵だねと声をかける。もちろんその声かけは私が感じた思いであることが前提としてある。簡潔にいうと「人あたりの良い人間」に私はなりたかった。

 

 

でもそうもなれそうにない。なぜなら私は私の感情を蔑ろにできないからだ。生じた不安や不快感をうまく受け流せない。この人はなぜこんな酷いことを言えるんだろう?何故?どうして?疑問符を並べてしまう。そもそも相手からしたら「そんな理由を教える義理がどこにある」なのだ。私が持っていた関心が必ずしも他人を喜ばせるとは限らない。おせっかい。自己中。偽善者。なんとでも言われる。そして言われる度に傷つく。私は弱い。他人に関心があるくせに他人が怖い。

 

人あたりの良い人間というのは総じて心に余裕がある人だと思う。いろんな人の感情を受け入れる器を持っている人。憧れていた尊い人。でも私は人あたりの良い人間にはなれそうにない。なるためにはもっと自分を知らなければいけないと思う。自分の嫌らしさや卑屈さと向き合って傷つかなければ本当の優しさが見つけられない気がするから。

 

なんでそこまでするのかと聞かれることもある。私もわからない。ただそうしたい。今はまだ人あたりの良い人間にはなれそうにないけど、10年20年後にそんな人でいられたらいいなと思う。

 

 

微々たる日々

 

 

暑かったり涼しかったりして気候に体力が吸い取られてしまう。最近は若干落ち着いてきたし、このままなんとかこなしていければいいな。

 

話はぐるっと変わってコミュニケーションについて。最近特に思うのはコミュニケーションって何をどう話すかではなくて、「どれだけ相手に関心を向けているか」ということ。関心を向けていると相手のちょっとした変化に気づいたりして、そこから話題が広がっていくことがよくある。あとは関心があるんだよっていうのを態度で示すことが大切なのかも。自分に興味を持ってくれるって意外と嬉しいからね。まぁ俺のことは放っておいてという人もいるけど、それがその人の本心なのかと言ったらそうでもなかったりするし。

人に好かれたいと思う前に私が人を好きになろう。微々たる日常に関心を寄せながら、柔らかくあたたかな心の居場所を探してる。

 

 

 

マイノリティシティ

 

毎日ブクマをみてるとテレビニュースだけではキャッチできない色々な情報が手に入る。

 

結構重要なニュースが落ちていたりする。

 

私の主観だけどマイノリティはどんどん声を挙げづらくなっている。というか社会が弱肉強食の世界になっているような不安。声が挙げられないくらい大変な状態な人がいて、そういう人達ほどマイノリティになりやすい。

 

もっと言うとマジョリティもマイノリティもないそれぞれの個性を受け入れられる世界であればいいなと思う。マイノリティシティに住みがちな私はそう思う。小さな声がかき消されないように。

 

 

いずれ「転機」がおとずれると思っていた

 

 

 

いずれ転機がおとずれると思っていた。

 

異動したら、転職したら、セミナーに行ったら...何かをしていたらいずれ転機がおとずれると思っていた。

 

そもそも私にとって「転機」とは革命的なもので、人格が格段に成長したり仕事のスキルが抜群に向上したり、タワーマンションの一室が買えるほどの富を手に入れるようなものと考えていた。

しかしそのような革命的な転機はおとずれるはずもなく、成長しているのかなんなのかわからない日々を浪費しているだけなのではないかと思うときもある。私はただひたすら毎日を過ごしていれば、偶然にも転機がおとずれてくれるだろうと無意識に考えていたのだ。本屋にいけば「人生が変わる〜〜の習慣」という感じの自己啓発に関する書籍は様々あるし、ネットを見れば「私の成長したきっかけは〜〜です!」といった転機による成長ストーリーが山ほどある。だから私はそれらを眺めながら、私にはいつ転機がおとずれるのだろうとただ傍観し待っているだけの、現代らしい廉価版の日常を消費するだけの人生があった。

 

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変わろうと思う気持ちは尊い

 

成長したいと願う心が行動を産み、行動が転機を引き寄せるのではないだろうか。このままで良いと思っている人はきっとそんなにいない。誰もが仕事や自分の人生に対して「もうちょっとあれやそれが良くなれたらなぁ」と考えているものだ。私も変わりたいと願う人間のひとりではあるが、日々のちょっとした変化に気づかずに大きな転機ばかりを求めていたのではないか...。ふと振り返ってみるとそんな夢のような話に期待している幼い自分がいる。本当に私に転機はなかったのか?改めて自分に問いかけてみる。

 

 

それまでの私が考えていたような大きな転機は確かになかったかもしれないが、一年前と比べて成長したなと思う部分も実はあるのだ。職場の人とのコミュニケーションをとることが上手くなったのは、経験を重ねて相手の心を慮ることができるようになったからだと思う。いろんな人とコミュニケーションが取れるようになるって、革命的じゃないか?他人の価値観に触れ、感情を共有し、自分の心を育むというのはとても大事なことだ。働くというのは様々な時代や価値観を生きてきた人々と交流するということでもある。ちゃんと振り返れば私は、他者とコミュニケーションを取れたとき、喜びで小さく心が震えているのを感じていた。その都度私の心の中で新たな価値観が得られ、それはある意味私の心での革命でもあったのだ。

 

人間は生きている時間の約3分の1を働きながら過ごしている。気づいて来なかっただけで、本当は貴重な時間を費やして小さな転機を重ねて生きているのだと思う。廉価版でチープな日常ではなかったのだ。

私には「これがきっかけです!」と言えるような革命的な転機はおとずれなかったかもしれない。だけど小さな転機を積み重ねながら私は変わっていく。それは人格が格段に成長したり仕事のスキルが抜群に向上したり、タワーマンションの一室が買えるほどの富を手に入れるようなものではないけれど、他人にはちょっと見えづらい小さくささやかな宝物だと思っている。

 

 

 

 

 

親孝行の本当の意味はあなたが生きていること

 

こんにちは。

環境があらわれてきたので書きます。

 

 

ちょっと前の増田に書いてあったことについて。

 

むかし、何もかもつまらなくなって、死にたくなった時 何だか知らないけど..

 

「親孝行」とはなんだろう。

 

この言葉を聞くと何か勉強がトップクラスにできたり、お金がすごく稼ぐことができたり、日常的に親の介護をしたりなんらかの成果があることが前提としてあるような気がする。成果を出して親に還元することが親孝行。逆に成果が出せなかったり迷惑をかけたら親不孝。そして親孝行はするべきことで、子供の義務であるかのような世の中の圧力に「ぐぬぬ」と堪えながら生きている。

 

そのように生きていると成果に捉われていくもので、あれができないこれが足りない、なんで私はこんなに駄目さがあるんだろうと考えてしまう。親からしたら「別にあんたにそんなの求めてない」って言われるかもしれないけど、でも普通に働いて、普通に人付き合いをして、普通に生活して生きていくということ...それが私にとっては途轍もなく大変なことなのです。

 

 

しかしながら子供も大人になり、自分の生き方について悩んだりするものです。親孝行とかそういうのばかり考えてると自分のやりたいことと相反したりして苦しいんです。そういう思いをずっと抱えていて、そのことを恩師に話したら「親孝行っていうのは何かしてあげることじゃなくて、あなたが存在しているだけで充分親孝行なんだよ」と言われて救われたというか。

 

親に対する感情って必ずしもポジティブなものだけじゃないと思うんですよ。「なんでこの人こんなに否定ばかりするんだろう」とか、〜して欲しかったこと、自分が大人になったから気づく親の人としての人間性が垣間見えたり。感情のバランスなんてなかなか上手くは取れないから素直に親孝行ができなかった。でも自分が生きてればそれで良いのか〜と思えるようになったら少し気がラクになった。ラクになったから頑張れるとは限らないけど、ラクになったから気持ちが消えるわけでもないけど、何かが変わったわけではないけどかわるものが心にはある。

 

自責に苛まれ消えたくなる日々を過ごしている人にとって、「今つらいながらも生きていること」が何かの光明になれば良いし、今耐えていることが親孝行だし、親のことが嫌いでも憎くてもそういう気持ちになることは罪じゃないし死にたい気持ちも罪じゃないと思う。

 

 

 

 

 

 

アクセス数100万件へのみち

 

アクセス数が増えてきました。

 

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100万はワクワクしますね。継続は力なり〜。

更新してないけど意外と毎日アクセスがある。ありがたみ。エイサイハラマスコイ踊りが流行るわけですわ。

 

あと最近気づいたことツイートしてみた

まぁ楽だけど、傷つくもんは傷つくし、傷つく心は否定しないでヨスヨスしてやっていきましょう。