心がよろけそうなときに読むポンコツ日記

心がよろけそうなときに読みたくなる日記を目指してます

性格診断をやって自分を振り返ってみた

 

 

最近仕事やプライベートで自分の性格や気質について思うところがあり、ちょっとした参考になればと思って性格診断をやってみた。mbtiというらしいけどほぼ占い感覚ですよね。

 

辛口性格診断16 ~あなたは誰と同じタイプ?~ https://xn--16-573d25rtpd1v4e.com/ 

 

結構質問項目があってやるときにやったら疲れると思うのでそういう時は簡易版をやってみたらいいと思う。

 

「ENFP 好奇心豊かな社交家」 https://xn--16-573d25rtpd1v4e.com/enfp.php 

 

好奇心豊かな社交家でした。まぁ聞こえはいいけど色々アイディアを言う割に実務として遂行するのは苦手っていうのは結構的を得ている。こういう性格診断ってどんな結果でも自分に当てはまるように感じることがあるので、一応ほかの結果を見てみると意外にも当てはまらなかった。

 

最近思うこととして自分が小学生低学年くらいまでの気質みたいなもの...に徐々に戻りつつあるのかもということを考えている。具体的には説明しづらいのだけど割と小学生低学年くらいまでは明るいタイプの子どもで、転校した初日から友達と遊びにいくということが自然にできていた。確か国語の音読が得意で、初日の国語の授業で音読が上手くできたことから友達ができ始めた気がする。でもなんでもアクティブかというてそういうわけでもなく、シルバニアやリカちゃん人形で遊ぶことが大好きな幼少期だったので、結構ひとり遊びに耽ることはあった。

 

思春期になると家族の問題もあって生活もガラリと変わり、色々と悩んで鬱々とする日々がだんだんと増えていった。父母ともに所謂「陽キャ」的な要素が強くてシルバニアとかやってるとそんな地味な遊びばかりしてってからかわれたな笑

 

小学6年くらいのときに勉強しながらラジオを聴くというのにハマっていて、桑田佳祐白い恋人たちCHEMISTRYを聴くことが好きだったけど、これまた「ラジオなんか聴いてマセてるwww」とからかいの対象だったので隠れてコソコソ聴いていた。でもそういう状況は意外と好きだった。今思うと思春期ならではの自我が育ちはじめていたんだろうな、と思う。

 

父親が亡くなってからは母はアイドルグループにはまっていて、韓流とかジャニーズとかずっと聴いているような生活だった。その母から産まれてきたのに私の趣味嗜好はほとんど母に似ず、売れないロックバンドやアニソンを聴くのが大好きだった。高校大学あたりまでそういった趣味を「理解できない」だとか「変なの」と言われて育ったためか、自分に対する根拠のない自己否定感がどんどん養われていったのであった。でも母に対してはとにかく自分のいきたい進路を支えてくれていたし、日常的な会話もあったのでそこまでネガティブなイメージはなかった。

 

うつになってから自己否定感が非常に高まり自分の生きる意味や存在を肯定できる根拠を探して翻弄した。自分という存在が嫌で嫌で仕方がなく自分の見た目も性格も嫌だった。だけど最近はそういう自分があるものはあるのだからわざわざ否定しなくても良いんだな、と考えられる時間が増えつつある。何故かというとやっぱり周囲の他人が自分を受け入れてくれたことが大きかったんだと思う。好きとか嫌いじゃなくて、自分という存在がいることを受け入れてくれる人が家族以外にもいたこと。学生時代には得られなかった自己肯定感を今少しずつ回復させている最中なんだなと感じている。

 

薬物依存やアルコール依存のニュースを見ていたときにブコメで「現代は依存できる他人やモノが少なくなっている。だから薬物やお酒に依存する」というコメントを見て、確かにその通りだなあと考えた。獲得しつつある肯定感を他者にも還元できるようになれたら良いなと思うし、それが私の生きる希望なのだと思うと、性格診断の結果もなかなか悪くないなと思えて嬉しかった。

 

 

 

 

最近さみしく思うこと

 

体調がなかなか安定せず、とにかく生活をするために仕事第一優先で過ごしている。

 

これまで友人と会う約束をしても私の体調不良でキャンセルしてしまうことが何度かあった。そういう経験を重ねていくと、友人の予定に穴をあけてしまわないか、迷惑じゃないかと考えてしまって最近一か月は友人とほぼ会わないしLINEもしていない。SNSが唯一のつながりになっている。

 

無理な予定を組んでもこなせないのはわかってるでも友人には会いたい。だけど迷惑をかけて嫌われるのが怖くなり誘わなくなる。だんだん距離が離れてく。うまく言えないけどさみしさが募る。生きていくだけで精一杯なんだ。

 

友人と会えない生活とは、なんと寂しいものなのだろう。病気の理解を求めているわけじゃない。だけどメンタルの病気は他人と壁を作りやすいなと感じている。友人と会える幸せを感じられる極当たり前の生活に、戻ることができたら。

助けを求めるのは簡単じゃない

 

暗めの内容なので読める人だけ読んでね。

 

 

不安だし不安だし不安しかないと自分の心を見つめてみるとその様な穴ボコだらけの姿が見える。

 

食事、睡眠、仕事や勉強、人付き合い 生き延びるために日常生活をどう乗り切るか

 

読みました。

 

 

学生時代にリストカットをしてしまう友人がいて、夜中にで電話があって「リストカットしちゃった。助けてほしい。」と言われて、始発が出ていなかったので自転車で1時間半かけてその友人の家に行ったことがある。

 

部屋に入ったら血だらけで自分に電話した後もカッターで腕を切っていたらしい。なんて言えばいいか正直わからなかったので「私はあなたがあなたを傷つけなきゃいけない状態であるほどつらいことが辛いよ」と言って一緒に血の処理をした。切ったら楽になるの?と聞いたら「少しだけ」と答えてくれた。

 

そのときはそうやって言ってしまったけど、友人の苦しみを私なんかがどれだけわかっていただろう。彼女は夏場は腕を見られないように毎日長袖のカーディガンを羽織っていた。見る人が見ればその理由がわかっただろう。でもそういう面があっても彼女のことは結構好きだった。頭が良くて私が知らないいろんなことを教えてくれたし、話していて面白かった。今は疎遠になってしまったけど。

 

 

あのときより自傷リストカットも認知されてきて、対処法なんかも調べたらすぐにわかるような時代になった。けれど方法がわかっても苦しんでるひとりの人間の心がわかるようになるわけではない。どんなに勉強しても心のことだけはいざ一緒に過ごしてみないとわからない。

 

 

記事の一節のなかに

 

一番の自傷行為は、誰にも助けを求めないこと

 

と書いてあったのが印象的だった。というのも、助けを求めることの難しさを日々痛感しているからだった。例えば親には親が喜ぶような話題を、医者には医者が求める答えを、そうやって相手に合わせて話す内容を勝手にカテゴライズして、不快に思われないようにばかり考えてきた自分にとっては、適切な助けの求め方が未だにわからないのだ。表面的に頼ることはできても内面的な部分を晒すのは怖い。そうやって楽な方ばかり選んできたのでやり方がわからない。

 

先程の記事では「安心して相談できる人を複数人確保しておくこと」というアドバイスがあったけど、「それができれば苦労しないんだよな〜」と思ってしまった。助けて下手な人間がどうやって相談できる関係を作れたものだろうね。そこは自助努力ではと言われたら「はい、そうですね」と言うしかないんだけど、またそれができない自分を直視してめげそうになるので仕方がないと割り切って生活できたらいいのだけど。

 

助けて上手じゃない助けを求めることが下手な人間が気軽に相談できるとこがあったらいいのにね。

家族でもわかりあえない

 

 

母は専業主婦からパートタイマーになり、父がいなくなったことで仕事を選ぶ余裕もなく正社員になった。金のため、私ら子供達に飯を食わせるための仕事と考えたとき、アラフォー近くでフルタイム勤務にもブランクがある、まず雇って貰えないのだろう。3Kなんてなんのそのと言っても過言ではない仕事に就いたのであった。

 

とにかく土日休みで夜には子供達の面倒を見られる仕事に就いてくれたおかげで夕飯は家族みんなで顔を合わせることができた。顔を合わせるというのは意外と馬鹿にできないもので、その日あったことをああでもないこうでもないと子供達は話したかったのだ。

 

「金のための仕事。仕事は金を得るための行為」

 

母の仕事に関する価値観はこうだ。なので我々子供達は将来食いっぱぐれることのないよう、それなりのところで就職活動ができるように、進学については出来る限り我々の意向を尊重してくれたことは間違いないだろう。もともとは細々と好きな文を綴りながらお金を得ていた人が、金のためだけに働くのは果たしてどの様な心境だったのか。

 

しかし私は母のおかげでなりたいものを見つけ夢や目標も得ることができた。それなりに悩みはありつつも生活には充実感があった。家に帰れば仕事の愚痴を聞いてくれる家族がいて、母がいて、翌日も頑張ろうという気持ちが湧いてくる。今振り返ればなんて尊い環境にいたんだろうと思う。

 

母と話しが噛み合わなくなったのは、母の職場が危うい状態になっていたからかもしれない。自分の愚痴に対して「でもやりたいことやってるんだから我慢しなよ」「そんなんで文句言ってたら仕事にならないよ」と批判的な反応が増えていった。おそらくこれらの言葉達は母が母自身に言い聞かせるためのものでもあったのだろう。徐々に傾いていく職場を早々に辞めていく同僚達、毎月のようにある送別会。仕方ないのよといいながらもただ耐えるような姿は見ていてつらかった。

 

それでもこれまでと違うのは子供達が社会人になって自立したことだと私は考えていた。母に対して「私達のことは私達でやっていけるから自分の生活だけ考えればいいよ」と声をかけたときの、母の嬉しさと悲しさが混ぜこぜになった表情の意味を理解しないまま日々が過ぎていった。

 

私が職場の近くに一人暮らしをすることに決めたとき母は反対した。私が病気持ちだったときのことを知っていたし、何より自分の娘が家を出るということが心配だったのだろう。「うつ病で寝込んでる人が一人暮らしなんかできるのかね。なんかあったときのために実家に近い場所がいいよ。」こう言われ自立心が傷ついた私はこれ見よがしに実家から離れたのであった。

 

仕事に打ち込むようになればなるほど仕事に生きがいを見出すようになった。それに比例するように母との距離は遠くなっていた。色んな大切なことを忘れていた私は「お金だけじゃなくて生きがいを感じられるような仕事がしたい。お金なんかなんとかなるのに、なぜそれを母はわかってくれないのだろう。」と考えるようになった。

 

私はただの馬鹿だった。母の人生を否定する資格なんて誰にもないのに。

 

昨年の話。年末年始に母と久々に会う機会があった。その中で私は母に対して「これからは自分のやりたい仕事をすれば良いじゃない。」と言った。これに対して母が「好きで今の仕事をやってるんじゃないんだよ!なんとか生活をするために仕事をしなきゃいけなかったの!病気で休んだりしてるくせに偉そうなことを言うな!」と怒鳴られてしまった。私は病気のこともイマイチ理解してくれないくせにわかったことを言われたくないと言って自宅に帰ってしまった。

 

家族なのに、あんだけ一緒にいたのに、どうしてわかりあえないんだろう。家に帰ってから涙が止まらなかった。このまま一生わかりあえないのか。母が嫌いなわけじゃなくて、母が頑張ってくれたからこそこれからの人生を自分のために生きてほしい「だけ」なのに。その時はそう思ってしまった。

 

 

それからしばらく時間と距離を得て過ごしている。私は自分の生活に集中できていて、自分のために生きるってなんて難しいのだろうと日々痛感している。あの時「だけ」と言った私の浅はかさ、幼さ、甘えが頭にジンと沁む。母が私の生き方を決められないように、私も母の生き方を決めることはできない。家族は距離が近すぎるから時折それがわからなくなるのだ。私は母が健康でも病気でもなんでも生きていてくれればもうそれでいい。家族でもわかりあえない。だけど家族だからわかりあえないのだ。

 

昼間の日差しを浴びて滝のように汗をかいている。観測史上最高の猛暑が私を突き刺す中で感じたのは「父は果たして亡くなる前に、夏の記憶が40℃超えるなんて予想できたかな」なんていうどうでもいいことで、でもどうでもいいことすら生きていなければ味わうことはできないという事実を噛み締めている、

 

 

ぶっちぶりぶり

 

近況です。

 

①あしみのさんid:asiminoのブリ純度が高い。ブリ界隈はひっそりとかつ根深く活動している。何気に相互の活動を見守っている。

 

Googleはなんでも検索させたら良いもんでもない。バチェラーシーズン1を見終えて満足したのだが、バチェラーでググるとトップに誰が勝ったか名前が表示されてしまう。個人的にはバチェラー公式HPをトップ表示にしてもらいたいけど。ピュア度では森田推し。人間的にはえり子と鶴さんが際立ちすぎる。ネット配信番組ナメてた。シーズン2は1話だけみた。連休中に視聴をすすめたい。

 

③暑い

エアコン2機フル稼働である。鉄筋コンの最上階だし仕方ないのだが、熱がこもってやばい。

 

④引越ししたい

もう少し利便性の高くて暑くないところに引越したい。港区とか千代田区の要所の賃料を調べて驚いた。あんな高いところに誰が住んでるの?

 

⑤健康について

夏はお腹を下したり便秘になったりするから気をつけてください。ブリストル便形状スケールを参考にしてください。

 

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人あたりの良い人間にはなれそうにない

 

ある程度周囲に対して好意的でありたいという思いがあった。それは一緒にいる他人に嫌な思いをして過ごして欲しくないという、他人のためという皮を被った私の願望であるのだが。どんな人に対しても関心を向けていよう。例えば髪を切っていたら素敵だねと声をかける。もちろんその声かけは私が感じた思いであることが前提としてある。簡潔にいうと「人あたりの良い人間」に私はなりたかった。

 

 

でもそうもなれそうにない。なぜなら私は私の感情を蔑ろにできないからだ。生じた不安や不快感をうまく受け流せない。この人はなぜこんな酷いことを言えるんだろう?何故?どうして?疑問符を並べてしまう。そもそも相手からしたら「そんな理由を教える義理がどこにある」なのだ。私が持っていた関心が必ずしも他人を喜ばせるとは限らない。おせっかい。自己中。偽善者。なんとでも言われる。そして言われる度に傷つく。私は弱い。他人に関心があるくせに他人が怖い。

 

人あたりの良い人間というのは総じて心に余裕がある人だと思う。いろんな人の感情を受け入れる器を持っている人。憧れていた尊い人。でも私は人あたりの良い人間にはなれそうにない。なるためにはもっと自分を知らなければいけないと思う。自分の嫌らしさや卑屈さと向き合って傷つかなければ本当の優しさが見つけられない気がするから。

 

なんでそこまでするのかと聞かれることもある。私もわからない。ただそうしたい。今はまだ人あたりの良い人間にはなれそうにないけど、10年20年後にそんな人でいられたらいいなと思う。

 

 

微々たる日々

 

 

暑かったり涼しかったりして気候に体力が吸い取られてしまう。最近は若干落ち着いてきたし、このままなんとかこなしていければいいな。

 

話はぐるっと変わってコミュニケーションについて。最近特に思うのはコミュニケーションって何をどう話すかではなくて、「どれだけ相手に関心を向けているか」ということ。関心を向けていると相手のちょっとした変化に気づいたりして、そこから話題が広がっていくことがよくある。あとは関心があるんだよっていうのを態度で示すことが大切なのかも。自分に興味を持ってくれるって意外と嬉しいからね。まぁ俺のことは放っておいてという人もいるけど、それがその人の本心なのかと言ったらそうでもなかったりするし。

人に好かれたいと思う前に私が人を好きになろう。微々たる日常に関心を寄せながら、柔らかくあたたかな心の居場所を探してる。