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フォアグラを食べるのは罪か

 

昨年初めてフォアグラというものを食べた。正直めっちゃ美味かった。独特の油の風味と蕩けるような食感。さすが世界三大珍味と思った。

 

でもフォアグラを作る過程でカモの口に無理矢理肥料を注入して太らせるということを知り、そのせいで死んじゃうカモがいたり健康が失われているという事実がなんとも言えない罪悪感を生んだ。そこまでして食べる必要があるものなのかって。

 

でもいつも肉とか普通に食べてるわけで。牛やクジラを毎日殺して生きているのに、フォアグラだけ取り上げるのも偽善になってしまうのではないかと思った。

 

 

脈絡のないことこの上ない

 

愚痴=悪ではないと頭の中でわかっていたつもりでもどうしても心の中では咀嚼しきれなかった。咀嚼できないこと、脈絡のないこと、そういう鬱憤を煮詰めて日々継ぎ足して伝統の負の連鎖を繰り返している私であります。

 

気持ちばかり急いていて身体が追いつかない日々を過ごしています。もうちょっとまろやかに生きられないものですかね。口を開けば香辛料のような香ばしい焦げみたいな愚痴ばかりで嫌になります。もうアラサーで良い歳した大人が自分の気持ちの管理ができないって。周りの声を敏感にキャッチして理想を煮詰めて煮詰めてもう食べられないよって勝手にギブアップしちゃうんですよね。周りの求めている私と、私の求めている私は違うんだって言い聞かせているのですが、「〜〜であらねば」、「○○じゃなくてはならない」という思考がずっとこびりついてます。もはやただの焦げ。

 

私の自我なんて誰も食わないただの焦げ。

 

そういう精神的なところを考えていると、誰かに聞いてほしいような怖いような気がして、孤独感を感じてさみしくなる。私も愚痴の言えたりする仲間がほしいだけの、ただのさみしがりなのかもしれないな。

 

 

 

 

 

 

 

風邪を引いたら他人の存在のありがたみを感じた

 

久しぶりにウイルス性腸炎にかかり38.6℃の熱が出てもう身体がどったんばったん大騒ぎになったポンコつっこです。

 

体調不良はつらい。気も滅入るしそもそもお腹痛いし。初日〜3日経過くらいまではご飯も食べられなかったので、あーもう年度末に何やってんだろうと凹みました。

今はだいぶ落ち着いてそういえばプレミアムフライデーファミチキ貰うの忘れたと思えるほどに回復しました。皆さんはプレミアムなフライデーを過ごせましたか?

 

体調を崩していると他人のお世話になることが多いので、存在してくれることにありがたみを感じます。普段はあまり言えないけどそういうときをチャンスと思って「いつもありがとう」と感謝の言葉を伝えるのかもいいのかもしれません。

 

今回私は伝えそびれてしまったので、今度のプレミアムフライデーファミチキを貰ってプレゼントしようと思いました。まあ普通に夜まで仕事なのでプレミアムではないのですが。低空飛行な毎日が続いています。

 

 

目の前のことを、一つずつ。

 

 

いかがですかな毎日を過ごしているみなさんこんにちは。

 

花粉症らしい症状も感じる今日この頃ですが診断されたわけではない(というか受診をしない)ので、私は花粉症ではありません。なんか久しぶりに日記とか書くとどんなことを書けば良いかわからないですね。それなりに毎日を過ごしてました。めっちゃ気が滅入ったり、ちょっと持ち直してみたり。自分の心という大迷宮に迷いながらも最近は少し道が見えてきたような気がします。とはいえ右目の視力は0.8、左目は0.1というガチャガチャな状態。あなた心だけでなく目までガチャガチャなのねと自分で自分にツッコミを入れたくなります。

 

道が見えてきたきたとなぜ思えるようになってきたかというと、前は頭の中にいろんな物事が整理されずごちゃ混ぜになってなにから手をつけたら良いかわからなかったのが、とりあえず目の前にあるものをこなしていくとなんとかなるんだなということを実感できたからです。朝起きて「うわー朝つらいー」と思ってもとりあえず朝ごはんを食べると「まぁ動けるかな」と思っていたりします。本当にどうしようもなく体調が悪いときはそもそもごはん食べられなかったりするんですけど、そういうときは心身が休めと言っているのだと思ってとりあえず休みます。そうやって休むと徐々に目の前のことに取り組めるようになる。なんだ、なんとかなっちゃってるじゃんって思えるのです。

 

なのでもうすぐ新年度、新しく変わることもたくさんあるかもしれないけど、目の前のことを一つずつしっかり取り組んでいきたいなと思ってます。だからあなたも焦らなくて大丈夫なのよとエールを送りながら今日一日を終えていくのです。

 

 

 

「私の父は自殺した〜自死遺族としてすごした十数年間〜」を一般社団法人全国自死遺族連絡会に掲載させていただきました。

 

 

こんにちは。突然ですが報告です。

 

こちらの記事を

私の父は自殺した〜自死遺族としてすごした十数年間〜 - 心がよろけそうなときに読むポンコツ日記

一般社団法人全国自死遺族連絡会さん一般社団法人 全国自死遺族連絡会 – 一般社団法人 全国自死遺族連絡会の遺族の想いというページに掲載させていただきました。

http://www.zenziren.com/遺族の想い-2/

(直リンクが貼れないためトップページより遺族の想いを辿ってください)

 

なぜこのような経過になったのかというと、以前私がブログを閉鎖したときに、「この記事を読みたいのでブログを閉鎖しないで」、「あの記事は心の支えにしているので、あの記事だけでも公開してもらえないか」というご連絡をちょこちょこといただいたことが始まりでした。

私としても読んでもらったり、心の支えにしてくださる人がいるのは本当にありがたいことです。ただ個人の雑記にすぎないブログを今後ずっと公開するのも限界を感じていることもあり、何か読者の方々にも安心していただけるような形を模索した結果、全国自死遺族連絡会の代表さんにご相談させていただき、記事を掲載していただけることになりました。

 

私自身も今回の動きで初めて全国自死遺族連絡会という団体を知り、とても励まされました。私もひとりだけど他の自死遺族もそれぞれ孤独があって、だからこそつながりを求めるのだと思いました。ネット検索から私の記事に辿りついた孤独な人達が、こんな団体もあるのだと知る機会になったら嬉しいなと思います。

 

掲載内容は少し修正加筆をしています。今後私がブログを閉鎖しても、もしあの記事を読みたいなと思ったら上記のリンクからホームページに飛んでみてください。スマホだと左上のメニューバーから「遺族の想い」を見つけられると思います。私の動きはそんな感じでこれからもゆるっとやっていきたいと思います。

 

とりあえずブログで自殺について話すのはこれで終わりにしたいと思います。ではでは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どうせ生きる意味など

 

 

なんかもういいやと思ってブログを閉鎖したりしている。前は謎にあったブログへのモチベーションが最近は減ったなあと思う。ブログに限ったことではない。仕事することも読書することも毎日を過ごすことが低モチベーション。あなた具合が悪いのよと言われたらそれまでなんだけど、私だって具合が悪くなりたくてなったわけではない。誰でも不幸になりたくて不幸になるなんてことはそうそうない。小さいころ溢れていた根拠のない自信や意欲はどこに消えてしまったのだろう。

 

友人の多寡や仕事の成果など自分を評価しながら生きている。できることなら消えてしまいたいが、悲しむ人も幾ばくかはいるだろうし、やはり自ら命を絶つなどできない。涙がどうしようもないまま出る。心に空いた穴が私がいる証しでしかない。

 

もっと明るく楽天的で向上心のある人間に生まれたかった。なぜ私はこうもダメなのだろう。普通にできるはずのものができないんだろう。自信の無さが生み出すものは根拠のない被害妄想、病気だよそれって、わかっているさ。

 

わかっているけれど、ねぇ。

 

 

友達がいないコンプレックスを抱えているあなたへ

 

 

今日は成人の日。鮮やかな着物を纏った新成人達が街を彩っている。毎日この時期になると自分の成人式を思い出して、地元との繋がりについて私が勝手に抱えている負い目が喚きだす。

 

 

私は地元の公立中学に進学した。近隣では素行が悪い生徒が多いと噂されていた中学ではあったが、自分の歳は比較的落ち着いていたほうだと思う。そこそこ生徒数はあり、部活動も活発だった。毎年クラス替えがあって私はそれが苦手だった。

もともとの人見知りの気質に加えて中学入学早々に父が自殺したことが自分のなかで上手く消化できず、周りに自分がどう思われているかとばかり不安を膨らませてどうやって同級生と仲良くなればいいか分からなかった。

表面的には親しくなれても、今一歩相手の心に踏み込むことができなかった。今になって思えば、相手の心に踏み込むことで自分の心に踏み込まれることを恐れていたのだと思う。

 

その場では仲良くできても、クラスが変わったり進学先が変わったりすると関わりを失ってしまう。そんな消極的で閉鎖的な自分はあまり好きではなかった。部活をやっていたのでその繋がりだけはあったことが救いだったけど。

 

 

そんな付き合い方しかできなかったので、私の成人式は誰と一緒にいればいいかわからず、ひとりぽつんと過ごしていた。みんなはある程度グループを作っていてすごしているけど、私には所属する場所がないということを実感して早々に帰った。

しかし私の学年の繋がりというのは意外と強く、学年全体の同窓会を何度か開いたりしていて、Facebookでその様子が頻繁に公開されている。私も声をかけられることはあるが、いつも断ってしまう。どんな顔をしてどんな話をして参加すれば良いかわからないからだ。しかしそんなこと考えずにただ参加すれば良いのだということもわかっている。わかっているのに人と関わることを恐れてしまう。地元の同級生達が仲良くしていればしているほど、惨めな気持ちになってしまうのだ。きっかけは父が亡くなったことだとしても、他にも離婚して名字が変わっても色々な人と仲良くできている人だってたくさんいたのだから。高校デビューとか大学デビューができている同級生が羨ましかった。私はずっと中学時代の人間関係のやり方を引き摺ってしまっていたから。

 

相手の心に踏み込むことができない人との付き合い方は今も続いている。少しだけ自分の心を開くことはできるようになったけど、とても緊張するし、疲れてしまう。でも後悔を繰り返さないようにひとつひとつの人との関わりを大切にしていきたいと思っている。なので私のように成人式や人間関係で悩んでいる人がいたら、私も同じように悩んでいるので、あなたはひとりじゃないよと伝えるようにしたい。それは自分が救われたいという気持ちも含んでいるのかもしれないけれど、ひとりで枕を濡らすよりはずっとずっとマシだと思うから。そういう偽善めいたことをこの歳になっても続けてしまうのだ。