愛するとはどういうことか


家で書類を整理していたら少し前に書いた作文が出てきた。テーマは「最近悲しかったこと」であったはずだが、読み直してみると今回の題名のようなテーマも内包していると感じ、ブログに挙げてみようと考えた。



・最近悲しかったこと
   〜愛犬がお手をしなくなった話〜

私の家には16歳になる愛犬がいる。もともと捨て犬だったところを保健所から里親として引き取ってきた子なので、犬種も産まれた場所も誕生日も知らない。しかし忠実で家族が喧嘩をしていたら仲裁に入ってくれるとても優しい良い子で、大切な家族の一員である。

最近この子が認知症の気が出てきた。夜鳴きをしたり、名前を呼んでも反応がなくなり、食欲はあるが食べても食べても痩せ細っていくようになった。前は「お手!」と言って手をさし延ばせばすかさずお手をしていたが、今では手をさし延ばすと噛み付くようになった。犬の16歳は人間でいえば80歳近い高齢なので、いよいよこのときが来たかと愛犬が亡くなるときのことを想像するようになった。

しかし認知症で性格が変わってしまっても愛犬が大切な家族であり、愛していることに変わりはない。私は人に対しても同じことがいえると思う。
その人が病や障害によってそれまでのその人とは違う状態になってしまったとき、愛情は消えてしまうのかと考えるとそうではないと思う。その人をその人とたらしめるものは状態ではなく存在だと感じるからだ。

...



作文はここで終わっていた。何で使ったのか忘れたが自分で書いたものの、その人の「存在」を愛するとはどういうことなのかと考えると一晩越えてしまいそうなほど、言葉で表現することに戸惑いを感じた。感覚ではわかるけれど、それを文字におこすのはとても難しい。


自分がそれを愛していると思ったとき、「それ」の何を愛しているか言葉で表現できるようになりたいと思った。

愛するってどういうことなのでしょうね。

そんなことを考えるセンチメンタルな夜でした。


ポンコつっ子