孤独と向き合うことで、自分は孤独ではないと知る



笑っていいとも増刊号がなくなってなんだか物足りない日曜日だと感じているポンコつっ子です。

物足りない顔
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さっそく本題に入ります。
誰もが自分は孤独だなぁ、ひとりだなぁと感じたことがあるのではないでしょうか。

いったい「自分は孤独である」と決めているのは誰なんですか?


自分は孤独だと決めているのは自分自身だと私は思います。たくさんの人に囲まれていても、恋人がいたとしても、自身が孤独感を感じていたらそれは何ものにも代え難い真実です。

孤独だと感じる際には何かしらの要素があると思います。その要素と向き合うことが孤独と向き合うことであるのではないでしょうか。



...



私は3人でいたら1人で余るタイプの人間でした。奇数グループでいたらだいたい私が余っていました。人見知りだったこともあり友人も決して多くはなく、「いいよなぁ愛想がいい奴は。色々得してさ」なんて捻くれた考えを持った人間でした。


その捻くれ具合に拍車をかけたのが父親の自殺でした。
私が13歳のときに父は亡くなり、自殺ということもあって他人にはそのことをできる限り隠してきました。


「自分は自死遺族である」


ということは自分にとって最も秘匿とすることであると同時に、これを受け入れて貰えないと私を理解して貰ったとは言えない...と考えていました。

しかし中学、高校生くらいの年齢で自殺のことを理解して貰おうということ自体が難しいことであり、自分自身が受け入れてもらうための努力すらしていませんでした。なにせ隠していかなければいけないと考えていましたからね。



そうして無理難題の解決を他人に求めるようになり、勝手に期待して勝手に落胆するだけの自分勝手な人間関係を築いていくようになりました。中学、高校時代で今も交流がある人といえば同じ部活動の仲間くらいです。

自死遺族であること=孤独であること

という考えかたは大学生になっても変わりませんでした。この人なら話を受け入れてくれるかも、あの人は考えが浅いから話しても無駄だ...なんて他人を値踏みしつ排除していく私の人との関わり方は、孤独街道まっしぐらでした。


しかしそんな私にも転機が訪れます。
そういう考え方は良くないと指摘してくれた友人がいました。
当時の私にとってはそれは衝撃的なことであり、とても喜ばしいことでした。

その友人には自分の意見を臆することなく言える様になりました。
そしてその人に対して初めて自分の父は自殺で亡くなったと話しをしました。
そのときの返答はこうでした

「そっか。でも自分はポンコツの前からいなくならないよ。」

出来すぎた返答、自身が望んでいたままの受け入れられ方でした。
その友人に話しをする様になってから、自分が自死遺族であることに負い目を感じなくなりました。孤独を感じることも減っていきました。

孤独を感じる要素を他人に受け入れられることは、孤独から脱する方法のひとつだと思います。



これができたら一番楽です。他人が自分を認めてくれたらそんなに幸せなことはない。
でもこれがベストかといえばそうとも言えないと思います。なぜかというと自分自身が「孤独と感じる要素」を受け止められていないからです。

そう考えるきっかけになった出来事が、先程話した友人の事故死でした。

私の前からいなくならないと言っていた人が突然いなくなってしまいました。かけがえのない友人の喪失に私の孤独感はピークを迎えることとなりました。


もともとあった孤独感は友人という存在によって支えられて薄らいでいたわけですが、その支えがなくなったことで自分の心にドサドサと孤独(このときは自死遺族であること+それを受け入れてくれた友人の喪失が主たる要素でした)が押し寄せてきました。



人は誰でもいつか死ぬんだ


これを父と友人の死を持って痛感することとなりました。いつか消えて亡くなるものに自分の孤独という不安を全て委ねてはならない。それは自分のためであると同時に、大切な人の人生を尊重することであると考えるようになりました。



そう思うようになってから、私は自分が孤独だと感じる要素となった自死遺族について考えるようになりました。
ネットで自死遺族のブログをあさって読んだり、自殺関連の本を読んだりしました。

そこで気づいたことは私と同様の孤独を感じている人は世の中にたくさんいるということでした。
皆が自死遺族として孤独であり、その共通点において私は孤独ではなくなったのです。


人は皆何かしらの孤独を抱えている

自分自身の孤独と向き合うことで、誰もが何らかの形で同じ様に孤独を感じているのだと知ることができました。
それを知ったことで私の心の中で何か開き直るような、「あぁ、別に孤独でいいんだな」と思えるようになりました。
自分の中の孤独を咀嚼して飲み込めたような気がしました。


孤独感を感じなくなる方法として他人に受け入れられることがあると述べましたが、別の方法として

自分自身が孤独と感じる要素についつ嫌というほど考える


っていうのもあっていいんじゃない?と思います。

みんな孤独なんだから、いつか人は亡くなるものなのだから、自分の感じるままのものをポジティブなこともネガティブなことも、ありのままに受け止めてみようと 考えてみる。これってどうでしょうか。

ネガティブ思考が考えた孤独からの卒業方法でした。

何かもっと自分の思っていることを上手に表現できるようになりたいなぁと思います。まだまだポンコツ日記ですね。


読んでくださってありがとうございました。


ポンコつっ子