私の父は自殺した〜自死遺族としてすごした十数年間〜


この記事を読もうと思った方、ありがとうございます。あなたは私の読者さんですか?それとも自殺志願者ですか?自死遺族のかたですか?それとも全く異なるところからいらしてくれた方ですか?

私がブログを始めた目的のひとつは「自死遺族」という存在を世の中に伝えたかったからです。
内閣府の発表によれば平成25年の自殺者数は2万7283人と二年連続で3万人を下回りました。テレビではそのことを良いニュースとして報道しておりました。自殺者の減少は本当に喜ばしいことだと思います。しかし私は嬉しく思う一方でそのニュースを観ている遺族の人はどう感じているのだろう...といつも想像していました。

日本の一般的な家族構成が4人家族だとすれば、平成25年に新たに増えた自死遺族の人達は簡単に考えても8万人強にもなります。
毎年8万人〜9万人近い自死遺族が増加していることになります。これに自殺者に近しい関係者等も含めると、いったいどれだけの人が「遺された者」として苦しんでいるのでしょうか。



遺された人たちの心のはけ口はどこにあるのでしょうか。最近は遺族の自助グループも増えてきました。電話相談の機会も設けられるようになりました。でもそこに参加するには、電話をかけるには、相当の勇気が必要です。近くにこのことを話せる人がいれば一番良いけれど、「自殺」という行為は社会的には許されざる行為であり、その遺族達は自殺者のことを口に出さないようにせざるを得ない、あるいは口に出しづらいというのが現状ではないでしょうか(決して自殺を肯定しているわけではありません)。


私自身が自死遺族として自殺者である父のこと、遺された悲しみ、苦しみ、葛藤を打ち明けられる場所がありませんでした。「私の父は自殺した」と抵抗なく口に出せるようになったのは、ほんの2、3年前のことです。約10年ほど経って、ようやくです。
打ち明けられるようになるまでは2chなどネットの中に同じような経験をした人たちがいないか探してみたり、一人で泣いてみたり...感じていたのはいつも孤独でした。


私がこのブログで自殺についてとりあげることで、自死遺族の思いについて一当事者としてもしかしたら私のような孤独を感じている自死遺族の人が、自殺を考えていた人が何か考える機会になるかもしれない。自殺なんて他人事だと考えていた人が自殺について考えてみてくれるかもしれない...そんな淡い期待を抱き、今回記事にした次第です。
それはお前のエゴだ!自己満足だ!という批判は覚悟の上で書きます。もし何か感じたことがあれば口に出してみてください。なぜそう感じたのか考えてみてください。良いことも悪いことも、考える機会になれば私はそれを心から感謝します。




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私の父は私が13歳のときに自殺しました。父の日の次の朝のことでした。犬の散歩用の紐で首を絞めて死にました。


父は厳しい人でした。外出先で挨拶ができなければ置いて帰る、門限を守らなければ手をだす...怒ると少し手を出しがちな人でした。
そんな父に対して抱いていたのは「恐怖」でした。家にいるときはいつもびくびくしていました。
でも優しいところもありました。父は車が好きで、ドライブによく連れていってくれました。運動会のかけっこで1位になったら自転車を買ってあげると約束したのに2位になって泣いていたら次の日に自転車を買ってくれる様な人でした。

とにかく13歳までの私はまだまだ幼く、父という存在は大きなものであり、人として弱い部分もあるなどと察することなどできずにいました。これは歳を重ねていくとわかるものなのではないでしょうか。

父が自殺する前日、父の日のプレゼントにストラップを準備しました。その頃父は夜まで外出しているか家で寝込んでいることが多く、何か変だなとは思ってはいたもののそれを指摘はできませんでした。なにせ父は「怖かった」ものですからそんなこと聞けるわけがなかったんですね。
そんな父にせめてもの励みにでもなればと思いストラップをプレゼントしました。父は嬉しそうに携帯にストラップをつけていました。少し安心して私は眠りにつき、朝起きたら父は死んでいました。


近しい人達はみんな混乱していました。母は憔悴しきっていました。幸い近所に父母が若いころから親しくしていた人がおり、葬儀などの準備を手伝ってくれました。
私はというとまだ現実に心が追いついていない状態で、「学校は何日くらい休まなきゃいけないんだろうなぁ」なんて呑気なことを考えていました。母に「これから兄弟と私とで頑張ろうね」と抱きしめられて始めて

「あぁ、父は死んだんだ」

と思い、悲しみなのかなんなのかわからぬ涙を流しました。

そしてそのとき気づきました。「恐怖」の対象であった父が亡くなり安心している自分に。

私は自殺の被害者でもあり、加害者でもあったのです。

だって父がいない家で過ごす時間はとても落ち着くと感じていたし、だからこそ父を避けていた。父の様子が変だと気づいていながら放っておいたのだから。
だから父は死んだ。私が内心消えてほしいと思っていたから。



こんな話とてもじゃありませんが13歳という思春期の多感な時期に友人に話せるわけがありませんでした。自分のことを気持ち悪い生き物だと感じるようになりました。
でも父という存在がいなくなり生活は様変わりし、心の中にぽっかり穴が空いたような、なんともいえない喪失感がありました。そしてこの喪失感と、自殺のこと誰にも打ち明けられないという状況が孤独を呼び込んでいました。



父が自殺して以来私の中で「孤独」という感情は常に心の中心にありました。普通に勉強していても、部活で汗を流しても、友人と笑顔で話しているときでも...いつも。
父を見捨てた娘として白状な自分、父に捨てられた子供として傷ついた自分、その両方が私の心の中に混在し肥大化していき自身に重くのしかかっていました。


しかし時間が経つにつれ少しではありますが自殺に対するショックというものは和らいでいきました。なぜ自殺までに至ったのかという経緯や、父の昔話などを母に聞けるようになり、次第に「恐怖の父」は「一人の弱い人間」だったんだなぁと考えられるようになりました。

だけど孤独感は変わらずに自分の心の中に残っていました。「自死遺族としての自分」を誰もしらないということにさみしさを感じておりました。理解して受け入れてもらいたいという欲求が高まるようになりました。

高校時代からでしょうか、ネットがかなり普及し自殺の報道も増えるようになりました。
そうして目にするようになったのは



「自殺するやつなんで馬鹿だろ」

「自殺した奴の家族は自分が殺人者だと自覚しろ」

「自殺とか周りにいたら引くわ」


という様なネガティブな言葉でした。それを見るたびにショックで、だけれども放置して忘れることもできなくで、「自分の父親が自殺した話なんてしちゃいけないんだ」と思うようになりました。

そうして思い悩んだ果てに行き着いたのが
「自殺のことなんか跳ね除けて強い人間になってやる!私は常に頑張らなくてはいけない!」
という超ポジティブ系挫折しない人間を目指すという少し行き過ぎた考え方でした。
「自殺のことは誰にも話してはならない」
「私は自死遺族として常に落ち込まないで努力すべきだ」
という強迫観念的な考え方でした。

この考え方がある程度私を成長させてくれた部分はありました。でも友人の「自殺なんてありえないよねー」などの批判的な言葉を聞くと心はとても動揺していました。「お前はもし今ここに自殺したいと考えている人がいたらどうするんだ。なんて軽率な発言なんだ。」と腹を立てていました。結局のところ孤独感を抑圧させてるだけに過ぎず、この考えを続けた結果大学時代にうつになりました。


うつになってからはひどいもので、楽しそうに学生生活を送っている兄弟を妬んだり、母に「私だってなりたくてうつになったんじゃない!自殺者の娘になったんじゃない!私がこうなったのも父のせいだ」と当たり散らすようになりました。そんな風に叫んだあとには誰にも理解されないという孤独感に潰されそうで泣いたりして、本当に家族には迷惑をかけました。
楽しそうに学生生活を送っている友人もにも腹がたった。家族旅行で別荘にきているという話を聞けば「お前の家は幸せでいいな。私は違う、自死遺族だから」と苛立ったり、
とにかく世の中のなにもかもが敵に思えました。自分を理解してくれるものなどこの世にはないのだと、死ぬことも考えてました。うつになり落ちるとこまで落ちるようになりました。


でもそうやってプロセスを得ることで次第に孤独というものに向き合えるようになりました。前に他の記事でも書いたことがあるのですが、他の自死遺族の方の書物やネットの書き込みなどを読んだりして、この孤独感は共通のものなのだと知ることができました。共通のものとしることで、私の中の孤独は小さくなっていきました。


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自死遺族と言ってもひとりひとりに異なる苦悩があり、ときに他人を攻撃したり自分が嫌になってしまうときがあると思います。
悲しいけれどその苦しみは必然だと言っていいかもしれません。家族を失ったのだから、当たり前なんですよ。

だからいっぱい泣いて、いっぱい怒って、自分の感情を抑え込まないであげて欲しいと私は思います。
自殺者を受け入れるためにも、そして自死遺族としての自分を受け入れるためにも、それは大切な過程だと思います。さみしくなるのも悲しくなるのも仕方ないです。そう感じることは悪いことではありません。

私は自死遺族として自殺という選択肢を選んでしまった、選ばざるを得なかった人達を受け入れていきたいと思いますし、それによって遺された人達の苦しみも受け入れるようにしていきたい、受け入れられる人間になりたいと思ってます。


どうでしょうか、あなたは自殺についてどう思いますか。やっぱり馬鹿だろって思いますか?

このブログを読んで、自殺と自死遺族について考えていただけたら本望です。

ありがとうございました。



続編です。

ポンコつっ子


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