人って何のために生きてるんだろうね?

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友人からの問いかけである。

なんで生きてるの?なんのために生きてるの?

これは誰もが一度は考えたことがあるだろう。特に壁にぶつかっているとき、ひどく落ち込んでいるときに考えてしまう。

死にたいと思ったことは何度もある。そんなときその思いを行動に移さないように抑止力となっていたのは、家族や友人の存在、遺族としてさみしい思いをしてきた経験である。遺された者たちの苦悩を想像すると、私は簡単には死ねないと考えていた。
当時はそれらが鎖となって私を生に縛りつけているような気がしていた。重たい重たい鎖だ。私はそれ以上身動きすることができない。鎖は私にとって自身を苦しめるものだと思っていた。



生きている意味など探しても見つからないことがほとんどだ。何か意味を引き出してみても、ただのこじつけにしかすぎない気がしてならない。そもそも生きる意味があれば生きていけるのか?そんな確証がどこにあるというのか。しかし私が欲しいのは「確証」だったのだ。

生きる意味を探しながら生きてきた。なんだか矛盾した言葉だが、それ自身が生への執着であったのかもしれない。誰か私に生きる意味を教えてくれ。私が安心できるだけの確証を与えてくれ。


他人の中に自分の生きる意味を見出したこともあった。この人に出会うために私は生きてきたのだと思ったこともあった。しかしこの人には先立たれてしまった。なぜ私の人生はこんなにも苦しいことばかりなのかと思った。この先何度もこんな苦しいことが待っているのなら、生きる意味など考えても無駄なのではないかと考えた。でもそんなときにも私は生に縛られた。何本もの鎖によって。いっそのこと全部引き千切ってしまおうかと思ったこともある。しかし鎖は何をしてもちぎれることはなかった。


...


生きる意味は突然私のもとに降りてきた。それも国家試験を受けている最中にだ。生きる意味は探しても見つからなかった。死にたいと考える夜もあった。しかしその苦悩がなかったら、今ここでこの試験を受けている自分はいないのだ。なんて愛しき苦悩だろうか。私の悲しみも喜びも何かひとつでも欠けていたら、今の私はいなかったのだ。
そう気付いたとき、私を縛っていた鎖は重たい鎖などではないのだと知った。これは命綱だ。蜘蛛の糸の様に細くて脆い、でも何本もの脆い糸が私を生きることへと繋げてくれていたのだ。

そのとき私の目には涙が溢れていた。そのとき悟ったのだ。私はこのひと雫の涙のために生きてきたのだと。


私はこの先もこのひと雫のために生きていくだろう。


友人にもこのような瞬間がいつか訪れることを願う。



ポンコつっ子










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