人生は限りあるものだから、考えて生きていたい



本屋に行くとワクワクしませんか?


私のまだ知らない話が、情報が、本屋にはたくさんつまっている。もし世界中の本を読み尽くしたいと思っても、おそらくそれは叶わぬ夢だと思います。

私が所謂平均寿命の80歳代まで生きて本を読みつづけても、きっと全ての本は読み尽くせないだろうな...と、本屋に行くとそんなことを考えてワクワクします。



世界は私の知らないことで満ち溢れている。


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しかしながら、人の命には限りがあります。少なくとも生きてるうちは死ぬことによって意識はなくなるものと考えているので、知りたいことを知るならば生きてるうちにそうしなければならいということになります。だから私は生きてるうちに、いろいろな情報を、たくさんの人の考えを知りたい。



終わりですといいながらまた話を掘り起こして申し訳ないのですが、「頭が良い人」についての考えも十人十色、様々でした。
心理学では頭が良いとはこう定義されているんだと教えてくださった人がいました。例えば心理学者には心理学者なりの頭の良さ、哲学者にも、数学者にも、弁護士や消防士、専業主婦や小学生に至るまで己の考え方があるわけです。
もっと細かくいうならば、専業主婦1児のママと専業主婦3児のママでも考えはことなるかもしれません。


だから私はいろんな立場の人の考えを聞いてみたい。



はてなブログで記事をあげるといろいろな人がコメントをしてくれます。まぁその人の背景まで知ることができたらもっと良いのだけど、ネットだとそれも難しいですからね。言葉の重要性が増してくるんですけどね。でももうそれはそれで、そういうものとして受け入れたほうがいいのかなって思います。



私はブログで正解を求めているわけではないということに気づいた。



昨日、一昨日で気づいたのですが、私はブログに書いてることにたいして正解を求めているわけではないんだなっていうのを今回実感しましたね。厳密にいうと「多数派の正解」とでも表現すればいいのでしょうか。

もし「多数派の正解」だけを最短ルートで選んでそれ以外の答えは認めないという生き方をしたら、人生は味気なく感じるのではないでしょうか。先で述べたように人という生き物は様々な考えを持っているから面白いのだと思います。私は「自分はこれこれこういう理由でこう考えるからこう思う。」と意見表明を出来る人の大半を尊敬したいと思ってます。

そういう人達の考えをたくさん知ることができるという喜びは、まるで本屋に行ったときに感じるあの衝動の様なもので、このネットというツールが栄えたからこそ使える「はてなブログ」は私にとって24時間365日全世界で使える本屋の様な存在なのです。




何を感じ、何を考えるかはその人の自由です。言葉などで考えを表現する際には様々な責任や配慮が求められるけれど、考えるのは自由なんです。


限りある人生だからこそ考えていたい。


私はいろんな人の気持ちが知りたい、考えが知りたい。できればそう思った背景もしりたい。明日消えるかもわからぬ命ならば、考えたいときには考えていたいと思いました。


だからこのブログを読んでくださる人達も、考えたいときに思うことを思えばいいと思います。私は私のやりたいようにブログを書くから、貴方も貴方のやりたいようにこのブログを読んで考える材料にしてくれればいい。
だけど言葉を発するときに、貴方はその責任をも伴うのだということは忘れないでください。




猫の喧嘩もつぶやきました。


読んでくださってありがとうございました。

ポンコつっ子