同じ窓から見える景色は


f:id:ponkotukko:20140608190530j:plain

同じクラスの友人のことを「同窓」と表現するのは日本語の魅力だと思う。同窓は同じ窓を見て同じときを過ごしそして別れていった。



同じ窓を見ているからといって同じ景色を見ているとは限らないのだ。同じ窓をずっと見つめていることはできない。


かつて同窓だった人々はそれぞれの世界の中に生きている。「同窓会」というものはそうやってそれぞれの世界を生きている人達が、あの時同じ窓から未来を見つめていたということを思い出し、ひとときの昔話に花を咲かせて懐かしい思いに浸ることをいうのだろう。



きっと10、20年、時が経てば経つほどにあの頃私達が見ていた景色が異なっていたことに気付くのだろう。そしてその景色の美しさに惹かれ語らいその先の未来への糧とするのだ。



同窓と呼べる人がいるということは、私がそこで過ごしてきたという証だ。その証はきっと私を支える礎となっている。学校でも、職場でも、なんでも、同じ窓を見つめて過ごした人々とのかけがえのない時間は何かしらあるだろう。大人になってから気付く。それはそのときしか見ることのできない景色だったのだと。あのとき私が見ていた景色は何色だっただろうか。


もしその窓が今存在しなくても、同窓がまたあのときのことを思い出させてくれる。あのときの私達は同じ窓を見つめていたのだと思い出させてくれるのだ。

人あればこその窓なのだろう。






ポンコつっ子