思いを表現することが生きている証になる



他の人のブログを読んでると「ブログ論」的なものを散見しますが、気持ちを表現することは大変な作業だと思います。

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最初は出来るだけ真摯に真剣で真面目なブログにしようと思ってたけど私にそんな文章力があるわけもなく、良くぞここまでとんとんと読者さんも増え読んでくれる人がいるなあといつも感謝しつつブログを書いてます。


でも正直言って楽しくないことも多いですよ。予想外の反応に傷つくこともあるし、この記事がこんなに反響があるとは思ってなかったということばかりで動揺することばかりです。

じゃあなんでお前ブログ書いてんねんという話になるわけですが、どんな立派な建前を並べても結局は皆が良く言う自己顕示欲というやつなのかなと思います。自分はここにいるぜ!!って訴えたいんじゃないかと。まぁネットという世界で自分の存在をどれだけ表現していけるかなんてほんとに微々たるものなんですけどね。

だけど自分の考えたことや思ったことを表現して遺してそこに反応があったら嬉しいわけですよやっぱり。


最初は自死遺族がどうのこうの言ってたけど、今もそれを伝えたいしメンタルヘルス的な何かを伝えたいというようなお節介な気持ちもありますけど、もうすぐ100記事達成を迎えようとしている今ではなんだかそれだけではないんだなぁという何かを感じながらブログを書いてるんです。


私のやってることって路上ライブのようなものですよ。もしかしたらそれ以下かも。プロブロガーなるものを目指しているわけでもないし(プロブリガーは目指してる)、文章力を上げるために何か勉強しているわけでもないし、ただ自分の思いをぶちまけているだけ。

でも路上ライブだって色々な配慮があるわけですよ。例えばただ卑猥な言葉を並べて叫んでいるだけじゃそれは気持ちの表現でもなんでもないんですよ。相手に何か伝えたいという思いがそこにはあるはずなんです。そのために表現に気を配ったり色々工夫するんだろうけれど、私は多分それ以下で卑猥な言葉を並べる未満のことをやってるんです。友達以上恋人未満みたいなやつです。


いつ死ぬかもわからない来世があるかもわからない、確かにあるのは今だけだから、今自分がここにいるという存在証明をしたいんじゃないかと最近思います。明日もし死んでも家族がこのブログを読んで私のことを考えたりするかもしれないなぁと考えたりしてね、ある意味このブログは長い長い遺書のような遺言のような気もするんです。こんなことを口に出すと周りには怒られるんだけど。


でも老若男女関係なく私達の人生というのは長い長い遺言なのではないかと思います。私という個人が何か大きなものを遺せるだなんて思ってはいないけれど、100年後まだネットが存在してブログがのこっていたとして偶然やってきた誰かが私の言葉を読んでこんな奴もいたんだと思ってもらえたらそれはとても素敵なお話だと思うんですよ。


だからこの記事の題名にもあるとおり思いを表現するんだお前らと思うんです私は。生きた証遺せと。配慮しながら表現していけよお前らと。なんという自己顕示欲。なんという承認欲求。しかしそういう人間もいるんだよということを今ここでこの文を読んでる貴方に向けて私は思いを表現します。



30人に1人くらいの割合で伝わったらそれでいいや。


思いを表現するんだお前ら。





ポンコつっ子