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非リア根性人間の憂鬱

どうでもいい話

人と一緒にいるほうが孤独感が増すという経験は誰もが一度はあるのではないでしょうか。


今日書いたもう一つの記事は、私の夢の中の経験にかなりの脚色を加えたものです。夢のなかでありがとうと告げたのは私です。それは本当の体験で、それ以来彼が夢に出てきてもこれは夢だと自覚することができているんです。ありがとうと言ったのが彼に会う最後の機会だったのだと自分の中では納得しています。

これが都合の良い夢でも、オカルト的なものだとしても構わないと思ってるんです。自分の中で折り合いをつけるタイミングだったと考えているので。




でもやはり大切な人を失う悲しみに耐えうるだけの強さは、その経験に比例して増えるわけではなく

むしろ私は失うことが怖くて大切な人を増やすことに抵抗があるんです。


例えば街中を歩いていて見かける仲が良さそうなカップル。私は彼等をみて微笑ましく思うと同時に羨望と妬みも重ねてしまいます。自分が彼等のように幸せな関係を築いていることをイメージできないから。これは私が今まで依存的な関係ばかり築いてきたことにも由来していると思います。特に異性に対しては、強がりながら依存するのが私のスタンダードだったので、自分の弱さとかさみしさとかそういった負の感情をみせるのがとても苦手でした。


なので寄ってくるのも同じような依存的な傾向を持つ人が多く、対等に相手を尊ぶ関係を築いたことはほとんどありません。そしてやっと築けたと思った人と死別してしまったので、自分はとにかくそういった関係をつくるだけの覚悟を持つことにも恐れを抱き、強がって虚勢を張りながら他人と関わることしかできずにいます。いい歳をこいて、今も。

前に待ってるだけじゃ白馬の王子様なんかくるわけないという記事を書いたけれど、あれは本当にブーメラン発言でしっかりしろよ自分と自分に喝をいれたかったんですね。

そんなに構える必要ないと思ってくださる方もいると思うのですが、私はそう思える人のことを羨ましいと思ってしまいます。存在を尊ぶとか、いてくれるだけで感謝するとか、ここで書いて皆さんに伝えるのは、自分自身がそうでありたいと思っているからだと思います。私は憧れているのです。私だけを一途に愛してくれて、大切に思ってくれる誰かが現れることを。そしてその人ができれば私より先に亡くならないことを。そんなことを思いながら、駅の待合室でぽちぽちこんなことを書いてます。



穴の空いたバケツのような心と毎日闘いながらすごしています。


非リアの闇は深い。



読んでくださってありがとうございます。

ポンコつっ子