「死にたい」という言葉の奥にあるもの

※今日は筆者が自殺志願者であったひとりとして感じていることを記事にしています。やや過激な表現も含まれるので心の調子が良くない方は無理のない範囲でお読みください。

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「死にたい」という言葉にいったいどれだけの思いが含まれているか想像したことはあるでしょうか。
「死にたい」と口にしたことがある人は思い出してみてください。自分がなぜその言葉を口に出したのかを。


私が死にたいと口にしていたとき、それは自身がうつに悩まされていたときでした。気持ちは暗く落ち込み、未来の見通しは立たず、もういっそのこと自分など消えてしまったほうが良いのではないか...そう思い詰めていました。自分の存在を亡き者にしたい、そう思ったときに出た言葉が「死にたい」でした。


そして私の「死にたい」は「助けて」という意味も含んでいました。誰かこのどうしようもない状況から救い出してくれないか、なんでもいいから救いの手を差し伸べてくれと思っていました。
私の場合「死にたい」と言葉に出すのは母か主治医に対してでした。私は主治医にメールアドレスを教えていただいていたので、本当にどうしようもないときはメールにその思いを綴ったりしていました。


そして「死にたい」当事者だった私が今思うことは、「死にたい」という言葉の奥にある思いを伝えることがいかに本人にとって利益をもたらすかということです。

私の場合はうつ病が苦しくつらいものでありました。その症状から「死にたい」という言葉を発していました。主治医くらいの専門家になれば私が何を苦にしているのかという部分まで聞きとりをしてくれますが、それが家族や友人であったならば「死にたい」という言葉の力の大きさに当てられて、その言葉を受け止めるだけで精一杯だと思います。
症状も安定した今になったからこそ思うのですが、自分が何に苦しんでいて何を考えているかを伝えたほうが話し手聞き手の双方に良いコミュニケーションがはかれたのではないかと考えます。


もちろん「死にたい」という言葉を発してしまうときにはそんなことを考える余裕などありませんし、私がここでこんなことをなぜ書いているかと言うと、「死にたい」と思い口に出そうと思っている人になぜ自分がそう思っているのか、そしてその思いを他人に伝えることは貴方が想像しているよりも貴方の心を救う可能性を秘めているということに気づくきっかけになれば良いなと思ったことがひとつとしてあります。

そしてもうひとつがもし貴方が友人や家族から「死にたい」という言葉を聞いたときに、その言葉の奥でその人がなぜそのような言葉を発したのか考えることの大切さを伝えたかったからです。

話す側も聞く側もいっぱいいっぱいになるような話題です。余裕を持って話したり聞いたりすることは恐らく大変難しいことだと思います。なのでここで書かれていることは頭のスーパーウルトラ隅っこにしまっておいていただいて、もし何かいざという機会があった際に頭をかすめるくらいのことになれば充分だと思います。


なかなか難しいことだと思います。書いている私自身もとても難しいことだと感じています。「死にたい」という言葉を受け止めながら、その奥にあるものを受け入れられる人間になりたいと思います。



もしも緊急のことでこのブログを読んだ方に向けて、内閣府の自殺対策の相談窓口に関するリンクを貼っておきます。



「死にたい」から解放されるときが来ることを願っています。







読んでくださってありがとうございます


ポンコつっ子