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「完全な家庭」という言葉に違和感を感じます

思考 日常


完全な家庭ってなんだろう?


例えば私の家庭はお盆や年末年始に親戚同士で集まるようなことはなかった。
なかったので、ひとりで想像しては羨望を抱いたりした。集まっているから幸せだなんて今では思わないけれど、昔はとても憧れた。幸せな家庭、完全な家庭。完全な家庭ってなんだろう。

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こんな記事を見かけた

心のノートってゆとり世代の私は記憶にないのだけれど、道徳の授業は息抜き時間で、まぁ適当に思ったこと言ってればいいやくらいに考えていた。小学生のときは父もいたし、自分の家族の在り方なんて深く考えずに生きていけていた。



心のノートには家族の大切さに気づいてもらうという項目があって、それを見ることで虐待を受けたりした子供が傷つくのではないか...という懸念がこのニュースでは書かれているのだと思うけれど、それに関するTweetで「完全な家族」という言葉を読んで、どうにも自分のなかで燃焼しきれないもやもやが残ってしまい、まぁなんだかもやもやしたまま今文字に書き下ろしている。



「完全な家族」があるとするならば、そうでない家族は「不完全な家族」ということになってしまうが、果たして皆さんはどう思われるだろうか。


私のブログを読んでくださる方々は知ってくださっているかもしれないが、私の父は自ら命を絶った。

ということを考えると家族の大黒柱とも言える父あるいは夫を失った我が家族は不完全な家族とでも言うのだろうか。
私はこの疑問にNOと答える。
正直家族仲がひどい時もあった。一緒に住んでいる父方の祖母とは分け合って顔も合わせない関係だ。ここを掘り下げるつもりはないけれど、こんな歪ともいえる関係ながら私は家族にとても満足しているし感謝している。(祖母だけは別か)
家族が仲が良いから完全だとは思わないし、完全じゃないからどうだこうだと考えても実際私の父は亡くなってしまっているし、でもそれがなければ今の私は存在し得ないのだし、あーでもこんな記事書いてるってことは自分のなかで折り合いのつかない何かがあるのかもしれないなって思ったりもする。


でも子供という目線で自分のことをみれば親の影響がどんなに大きくとも私の人生を動かすのは私だし、そうでありたいし、そうあるようにがんばっているんだよと訴えたくなるのだ。
だから世の中よどんなに不完全な家族だろうとそれだけで見切りをつけて哀れむことなかれと考えてしまう。被虐待児だって自死遺族だって幸せになれるのだから、世界はそうやってできてるんだから。


絶対そうなんだから。






ポンコつっ子