読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ひび割れてしまった思いに



おふろのタイルの目地がひび割れてきた。

前は父が日曜大工らしく上手く修正してくれていたので、長いことそれで持ちこたえていてくれたのだが、いよいよそれにも寿命がきたようだ。

私が目地の補修をする番になった。木工用ボンドの様なチューブに入ったゴムとヘラをつかって割れ目を埋めていく。

父ならば上手くできたはずなのにわたしの腕では割れ目が出てきてしまう。ゴムは脇に逸れて歪な形で固まってしまう。父はどうやってこの割れ目を埋めていたのだろうか。コツのひとつでも聞いておけばよかった。まさかこんなとこで父の存在を請うことになるとは。




ホームセンターに車で行くと家族連れがたくさんいる。私は荷物持ちも兼ねて車を運転する。駐車場を見れば運転席に座るのはみんなお父さん。そんな光景を目にするとたまにハンドルを叩きたくなってしまう。クラクションが鳴って周りの人がこちらを見てくれたとしても、そこに父の姿はない。






お風呂のタイルの目地をペタペタと補修しながらそんなことを考えていた。まさか誰も目地の補修作業から父のことを考えるなどとは思わないだろう。

でも世の中とはそういうものなのだ。思いもよらない想像もつかないところから感情の波は押し寄せてくる。私が頭を振り絞っていくら想像してみても、貴方の悲しみつらみを全て想像することはできない。世の中とはそういうものなのだ。



自殺なんかしないでいてくれたらこんな目地の補修作業なんかしなくてすんだかもしれないのに、上手くいかない作業に腹を立てることもホームセンターの駐車場で虚しい思いになることも、こんな思いに浸ることもなかったかもしれないのに。






感情が押し寄せるのがお風呂でよかった。水が滴り落ちても何も問題はないのだから。

歪ながら目地のひび割れは埋めることができた。それは私の心の隙間を埋めるようであった。