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立ち食い蕎麦屋のおばちゃんに学ぶ人生



今日は仕事が終わってからなんだかお腹がすいていて、出汁の良い香りにつられてフラフラと立ち食い蕎麦屋に久しぶりに入った。

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まぁなんてことはない、普通の立ち食い蕎麦屋なのだが。
店を切り盛りしているのはベテラン風のおばちゃんだ。汗をかきながら蕎麦を茹でている。エアコンはかかっているけれども沸き立つ湯気がおばちゃんの肌に触れ、汗と同化していった。

私はかき揚げそばを食べながらおばちゃんのことを考えていた。
おばちゃんはどうして立ち食い蕎麦屋で働こうと思ったんだろう。逆になぜ私は立ち食い蕎麦屋のおばちゃんにならなかったのだろう。

私は今かき揚げそばを食べることで幸せを感じているが、同時に今かき揚げそばを提供することによって得られる幸せを逃しているのだ。

おばちゃんからしたらたった一杯かもしれないが、もしかしたらその一杯をキムタクが食べているかもしれない。駅ナカにある立ち食い蕎麦屋ならたくさんの人と出会うことができるだろうし、でも私が今仕事をして得られる経験には代え難いのだ。


それは私の選択の結果なのだ。


人は何かを選ぶとともに何かを捨てている。言い換えるならば、捨てるというこどか選ぶことだ。
そして人は生きていく中で無意識にあるいは意識的に何かを選んでいる。例えば今日私は恵比寿のイタリアンでタリアテッレを食べるという選択肢もあったわけだ。でも今日立ち食い蕎麦屋に入ったからこそこんなどうしようもないことで人生について考えてみたりしている。今の私はアーリオオーリオより昆布だしだったのだ。


そのような選択の中で今の自分がある。



そんなことを考えて、目の前にいるおばちゃんの人生はどんなものなのか想像している自分がいた。もしかしたら私が想像する以上にエキサイティングな人生を送ってきたのかもしれない。そうでなくとも家に帰れば愛する子供と旦那が待っているのかもしれない。夜になっても汗をかいて蕎麦を茹でるおばちゃんがとても眩しい存在に思えた。




かき揚げそばは出汁が濃くて麺も柔らかくて美味しかった。ごちそうさまのあとに美味しかったですと付け加えて私は店を出た。