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題名をどうしようかすごく迷ったんだけど答えが見つからないからとりあえず読んでみてください

自殺関連 思考



「うちのお父さん死んじゃってるんだよね〜」



...と口に出せるようになったのは数年前の話。口に出せるくらいの勇気と余裕は持てるようになったんだなぁと自分目線では思うようになった。でもこの話を「口に出せるようになった」ということで結論づけるのはなんというか、もう少し再考の余地があるような気がしてきたのが最近の私。




この言葉を口に出したら相手はどう思うのかしら?




最初に口に出すのを躊躇うようになったのはどうしてだっけ?あぁそうだ。相手の反応が怖かったんだわ。「あっ、そう」と軽く受け流されるのも、「え〜、大変だったね」と他人事の様に捉えられるのも嫌だったんだ。わがままな話だとも思うけれど、それだけ余裕がなかったんだよね。余裕がなかったと同時に相手に期待していたんだよね。自分が望む対応っていうのがそのときはあったんだ。でも他人は他人、自分の思うように動くわけがない。頭ではわかっていても心が受け入れられていなかったんだよね。



相手に期待するということはときとして相手に依存するということでもある。相手の動き次第で自分の心が揺さぶられてしまうのだからね。うまく期待通りの反応が返ってくるときもある。でも相手が専門家でもない限りそれはある意味で幸運だったんだよ。


期待を捨てきれずにいた私は自分の秘密を口に出すことを恐れていた。秘密を開示するということは自分の恥部を晒すことに等しかった。





誰にでも口に出したいけどなかなか出せずにいる秘密が一つや二つはあるんじゃないかと思う。




口に出すことで自分が何を求めているか考えたことはある?




私にとってそれは懺悔であり慰めであり受容されたいという願望だったんだよ。
それでさ、そうなってしまったら言葉の意味っていうのは変わってきてしまうんだよね。
いつか記事で書いた。「死にたいという言葉の奥にある意図を汲んであげられるようになりたい」

これは何も「死にたい」という言葉に限った話ではないのさ。私はお父さんが死んでるから死にたいという言葉に敏感なところも正直あるかもしれない。でもこれはもうそういうものなのだと諦めているとともに受け入れようとしている。

誰にでも心の琴線に触れる言葉というのがあるものだ。その言葉によって心はたいへん振り回されるかもしれない。でもそれには必ず理由があるのさ。理由を見つけることができて、まぁこんなもんかと受け入れることができればだいぶ楽になる。

私にとっては「父さんは死んだ」っていう言葉が琴線にビンビンに触れる言葉だったわけだ。だから口に出すことを躊躇った。自分がこの言葉を受け入れることができていないから口にすることで相手に期待してしまうし、結果心がブンブン振り回されていたからね。




この時点で言葉を受け取る側の人の思いを考えられていなかったのだよ。



期待や懺悔や感情諸々がたっぷり詰まった言葉を受け取る機会なんてなかなかないものだ。普通に生活していればさ。私たちは神父様ではないのだからね。ひとひとりが一度に受け入れることができる感情には限りがあるのよ。できれば口に出す側の人はそれを考慮できればいいと思う。そうすれば相手に過剰な期待も抱くことはないし、自分も傷つかずにすむ。




でも私は「諦め」を前提として話がしたいわけではない。決して他人に期待するなと批判したいわけではないのね。




例えばネットで「父さんは死んだんだ」と書いたりすると、罵詈雑言とも思えるような言葉が降りかかってきたりもする。これは現時点のネットの世界では仕方がないのかもしれないとも思うんだよね。顔が見えないと心のタガが外れてしまうときもあるからね。

だから口に出すことを決めたならそういう言葉をどう受け止めるか考えておいたほうがいいかもしれないね。もちろん全てを真摯に受け入れようとしたら心は壊れてしまうだろうし、全てをネガコメと捉えていたら真剣に自分のことを思ってコメントをくれた人もいるかもしれないから勿体無いことかもしれないね。
その体制を決めかねるのなら今は無理して口にしなくていい時期なのかもしれないよ。いつか言えるときが来るから。ネットじゃなくても、実際に誰かにどこかで会って、いつかさ。


言葉を受け取る側の人は相手がどうしてその言葉を口にしたのか考えてみるといいかもしれないね。言葉の上澄みだけをすくってそれを全てだと捉えるのはとても勿体無いことだと思うんだよね。まぁネットに限った話ではないんだけども、ブログとかだと言葉しか見えないからさ、受け取る側がどう受け止めるかっていうのが重視されるよね。でもそればかりやっていると裏を読むことばかり考えて真意が隠れてしまうかもしれないし、相手が安易に発した心無いことばを必死に受け取る必要はないと思うからさ。


何が大事かっていうと自分の心とどう向き合っていくかということなのではないでしょうかね。多分これに共通の答えはないのだと思うんだ。だって心ほど移ろいやすいものはないからね。だから自分の心をどう捉えるかっていうのが大切なんだと思うよ。それがあっての言葉なのではないかしら。

私の書いてることも余裕があるときにしか考えられないことだと思うんだけどね。




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