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会話のドッヂボールがしたいんじゃない

思考



私は会話のキャッチボールがしたい。


しかし私の言葉はドッヂボールのようだ。相手に全力で言葉をぶつけてばかりみたいだ。
元来私はコミュニケーションが上手なわけではないのだ。ドッヂボールなら外野で安全を確保していたい保守的な性格だったはずだ。


どうやら私の言葉はありのままの姿のようで、投げかけた相手によっては全力剛速球に見えるらしい。虚しい話です。


伝え方が9割なんて本もあるくらい伝え方は重要なんだけど、おそらく私は思いを言葉にするだけでかなりのMP消費をしてしまうから、オブラートに包むとかやんわりふんわりとした表現にまで配慮がいっていないんだ。




だから割と好き嫌いが分かれる人間だと自分のことを分析していて、「別にそれでもいいじゃん。百人中百人に好かれるわけがないのだし」なんて思っていた。






果たしてそれでほんとにいいのだろうか?






言葉のドッヂボールを続けて強い内野選手だけとコミュニケーションを図る、それ以外の弱い外野は放って置くような関わりかたってどないやねんと。


言葉のドッヂボールがしたいんじゃない。私は言葉のキャッチボールがしたいんだ。公園で息子と父が投げ合うような、そんなキャッチボールがしたいんだ。


そしたら自分ができることをもっと増やしていかなきゃならないな。変化球だって必要だ。


直球ストレートは実は変化球だ。
まっすぐにも工夫が必要なんだと思った。