読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

簡単に他人には言えない「自死遺族の家庭環境」の話

自殺関連 日常



私がどうしても他人に言われたくない言葉がある。




「おばあちゃんなんだから大切にしてあげなよ」





...という言葉。私はこの言葉の光と闇をいつも感じながら生きてきた。祖母だから大切にする。家族だから大切、愛し合い労わり合う。それが当たり前。そういう考え方がある人を幸せにし、またある人は苦しめられている。今の私はまさに後者だろう。


f:id:ponkotukko:20141108193349j:plain



父方の祖母との同居が決まったのは私が小学生のころだった。祖父が亡くなり単身生活を送っていた祖母。箪笥には埃がつもり、風呂場は水垢で満ちていた。幼少期の私がおぼえているのは父の実家に行くと祖父と祖母が寝転がって過ごしていたこと。ただそれだけだった。どこかに連れて行ってもらった記憶も特になく、煙草の臭いとヤニにまみれたあの家に行くのはなんとなく嫌だった。
そういえば父も母も祖母のもとに行くときに笑顔はなかった。



祖父と祖母の姿、あれを「怠惰」というのだろう。




祖父が亡くなりひとりでは家計を支えることがなくなった祖母。おそらく老後の蓄えなどあまり考えていなかったのだろう。その責は一人息子の父のもとに降りてきた。それが私達家族と祖母の同居のきっかけだった。


父と祖母は口論が絶えなかった。お金のことや衛生面のこと、何かと価値観が違っていた。父方の親戚とはほとんど疎遠で育ってきた。今思えば父の親類に対する葛藤はいかばかりだっただろうかと父を哀れむ己がいるのだ。しかし小学生の私がそんな父の姿を想像することなどできなんだ。できたとして、それで何ができるというのだろう。今ならば経済的な支援もしてあげられたのに。




その後父は自ら命を絶った。その理由はもう追求不可能だ。そして3LDKの一軒家に遺されたのは母と兄弟と私、経済的に父に頼りきりだった祖母だった。
母は祖母と一緒に暮らすことを選んだ。母方の親戚には相当反対されたようだ。なぜあんたが面倒みなくちゃならないのかと。それはもしかしたら母の父に対するせめてもの償いだったのかもしれない。祖母は当たり前のようにそれを受け入れていた。嫁に面倒をみてもらうのがあたりまえ。それが祖母の価値観だった。



私は成長するとともに祖母のガサツな端々が気になるようになった。お湯を出しっ放しにすることもあった。コンロの火をつけたままで放置して火を止めるために火傷したこともある。そうしたときに指摘して返ってくる言葉は「なんであんたはそんなに私を責めるの!今度から気をつければいいんでしょ!」。
最初は言い返して口論になることもあったが、少しずつ疲弊していき返す言葉を失っていった。母はなぜ何も言わずに祖母の面倒をみているのか、その思いが少しだけわかった気がした。



そんな暮らしをして10年程経った頃の話だ。祖母が良からぬ商売に足をつっこんだという話を聞いた。その尻ぬぐいをしてほしいと母に懇願してきたのだ。今までなんども祖母の金銭トラブルに巻き込まれてきた母と、おそらくそれに苦しんできたであろう父の姿と、己の祖母との暮らしへの猛烈な疲弊から、私は祖母を怒鳴りつけた。


「お前みたいなやつが生きていてなんで父が死ななきゃいけなかったのか。自分が父を死においやったという自責はないのか。」


祖母はこう答えた


「父が死んだのは私のせいじゃない。勝手に死んだんだ。私は何も悪くない。」




私はひとしきり泣き喚きありとあらゆる罵詈雑言を祖母に向けて撒き散らした。そして一週間ほど寝込んだ。


私は祖母を許すことができなかった。どんな思いがあったとしても聞きたくない言葉を彼女は発してしまった。私がずっと悩んできた父へ対する思いをぺちゃんこに潰されたような気持ちだった。本当に、心の底からなんで祖母のような人間が生きているのだろうと思った。そして祖母と同じ血が流れている自分が嫌で嫌で仕方がなかった。



私は祖母との関わり方を決めなくてはならなかった。家族とも思わず極力関わらない選択か、和解へ向けて祖母を許す努力をする選択か。どちらを選んでも一生葛藤することはわかっていた。同じ血が流れている、たったそれだけの理由で。



私は祖母と関わらないことを選んだ。祖母のことを考えると体調が悪くなる。母とも口論になる、それでも祖母は自分のことを省みることなどせずに生き続けるのだろう。私にはこれ以上関わり続ける余裕がなかった。





幸せな家庭への憧れは私の中にずっとある。幸せな家庭で生まれ育ち自分のような家庭環境など想像だにしない人から発せられる「おばあちゃんなんだから大切にしてあげなよ」という言葉がたまらなく嫌で憎たらしく思った。お前には私の気持ちなどわからないだろうと相手を蔑みながら、願わくば一生わからないままでいてくれればいいと思っていた。




今も自分の選択が正しいのかわからない。でも誰にも相談できず、葛藤のさなか、おそらくこの葛藤は一生抱えていかなければいけないのだろうということにも既に気づいているのだ。