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反面教師って必要ですか?



反面教師って必要ですか?




反面教師(はんめんきょうし)とは中国共産党中央委員会主席毛沢東により発案された言葉である。

組織内などに劣悪な者や間違った者がいたならば、余程の酷い状態で無い限り敢えて矯正したり除外するのではなく、組織内に留めて地位や権限を与えない閑職にさせて、他の構成員にその醜態を見せ付ける事により類似した者の増殖を防ぐという目的で利用する人物。1957年に行われた演説で最初に使われたとされている。日本の似たようなに「人のふり見て我がふり直せ」というのがある。


Wikipediaで探してみたら意外としっかり解説がありました。今日はちょっと反面教師について考えてみたいと思います。


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Wikipediaの解説と少しズレるかもしれませんが、私は反面教師のことを「他人の悪い部分を見つけてそれが嫌だと思ったら、それを自分が行なっていないか客観視して見つめ直し、自分の言動を改めること、もしくは戒めること」という感じで捉えてました。だからちょっとWikipediaとはうまくかみ合わないかもしれませんがご了承ください。



否を感じた人を自分の糧にしていくっていうのは結構大変です。私はぶっちゃけ反面教師って少なくていいと思ってます。それよりも人の良い面に焦点をあてて、できれば尊敬できる人が多いに越したことはないと思うんです。

でも人と関わっていれば「それはあり得ないわ〜」と思うことは多々あります。場所によってはそう思うことのほうが多いかもしれない。でもその全てを反面教師として受け入れようとしなくていいのではないでしょうか。キャパオーバーになってしまうくらいなら、ほっとけそんなもんです。

だって反面教師を受け入れるということは他人の嫌な部分を受け入れることに近いじゃないですか。それをひとつひとつやっていくのって大変な労力ですよ。そんなことするよりその時間を尊敬できる人と話す時間や良書を読む時間に当てたほうが効率いいですよ。



しかしこうやってぽちぽち文字を打っていると思うんですよ。


「私は誰かの反面教師になっていやしないか...?」


って。誰かにそんな大変なことを強いているなら申し訳ない話です。ここまで読んでくださった方なら感じてくださっていると思うのですが、私は反面教師が苦手なんです。「それは間違ってる!!」と一言物申したくなってしまうんです。でもそう言えないときもある。ググっと耐えなきゃいけないときもあります。


だからできるだけ周りの人の反面教師にならないように気をつけいるつもりなんですけれども、なかなか上手い具合にいかず申し訳ないです。


最低限ここだけは押さえたいというポイントがあって、もし他人に自分の否を指摘されたときに「まぁ、反面教師にしてくれよ!」と言い訳としてこの言葉を使わないようにしたいですね。それだけは守りたいです。反面教師はいらないし、なりたくもない。今日はそんな感じです。