生きるとは他人の死を背負うことだ。



昨日は親孝行みたいなことできたなぁなんて考えていた私の中にふつふつと湧き上がるのは、今こうして働いている自分を父が見たらどう思うかということである。



私の中の父は怖い、厳しい、すぐ怒るの三拍子で死んでしまったので、そのイメージはかなり頭にこびりついている。小学生そこそこで中学上がりたての人間なんてものは親が全てだと思っていたって当たり前だと思うし、当時の自分を責めたいわけではないのだけれど。


父が自ら命を絶った部屋は家族の誰も使うことができず物置になっている。そこだけ時間が止まった、というほどではないけれど何もなかったように過ごすのは難しい特別な空間なのである。父の死んだ過去と現在の埋め合わせをするように部屋には物が満ちていったのではないかという気さえする。所謂ゴミ屋敷に住む人の気持ちが少しわかってしまう今の私。



今は非リアがどうしたとかこうしたとか笑っていることができるけれど、これが5年、10年経ったときにどうなっているのか考えて少し不安になる。この家で母ひとり暮らすことになるのだろうか。父の死んだこの家で、母は暮らしていけるのだろうか。
いつまでも実家に住むのも世間的にはよろしくないことをわかってはいても、この家で老いる母の姿を想像するのは耐え難いものがある。父はそこまで考えて死を選んだわけではないと思う。そこまで考える余裕などなかったのだろう。ないほうがいい、私にとっては。あなたにとってはそうでなかったとしても。




自分が歳をとり自立への道を一歩一歩進む度に過去に置いてきたものの大きさを感じては振り返り、そしてまた一歩進んでいく。


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父よ、あなたがそこでとどまることを選んだのなら、私はそれを選ばない。生きるということは他人の死を背負うことだ。生きることがあなたへの孝行になるのだろう?そう噛み締めながら、汗をかきながら、一歩一歩進んでいくしかないのだと、私は自分に言い聞かせていた。