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風にあたるな!水飲むな!の部活動への所感



学生時代はもっぱら体育会系だった私はまさに脳みそが筋肉でできていると言っても過言ではなかった。


風に当たるな!水はとるな!眉毛を剃った連帯責任で校庭30周ということが当たりまえだった時代だ。なぜこんなに苦しい思いをと考えるよりも先に足を動かしていた。朝練に始まり昼練、そして授業後の夕練が毎日の流れで土日祝日部活動だった。だけど私は満たされていた。身体を動かすのは嫌いではなかったし、技術が磨かれている実感は他のものでは変えがたいものだと思っていた。


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私が部活動から卒業して間も無く部活動での体罰が話題になった。伝統のある常勝校がこうもあっけなく変わっていくものかと思った。部活動の在り方が問われている時代なのかもしれないと私は考えていた。それは今もである。


部活動が私達に与えてくれるものはなんだろうと考えてみる。運動を行える環境、人間関係を築いていける活動、捉え方は様々だと思う。


私にとって部活動は居場所であり生きがいだった。


家庭環境が複雑になった私をなんとか学校に繋げてくれたのは間違いなく部活動だ。朝昼晩休みなく動いていれば余計なことを考えずに済んだからだ。私のように部活動を自分の居場所として捉えている学生も少なくなかったと思う。例えば地域によってはその在り方は顕著だと思われる。


それが何によって保たれていたかといえば、やはり意欲の高い顧問の存在だろう。部活動を見ながら他の仕事をするのは大変だと今になって痛感する。そうした人間の力によって成り立つ部活動が世の中にはたくさんある。



とはいえ、やはり熱中症であったり体罰のレベルで生徒と接するのは完全にアウトだ。今は頭を叩かれて問題になることもあるが、そこに信頼関係が築けていなかったり、他の面でも不備があったのかもしれない。親側も昔なら「先生にお任せします」と言えたが今は慎重に疑ってかからざるを得ない。それだけの溝が少しずつ少しずつ生まれてしまったのだろう。溝があればあるほど、顧問への期待と不安は両価的に存在しているのだ。
顧問の背負うものはあまりにも肥大化してしまった。




今ではシゴキや体罰と言われるような行為は両者の信頼関係によってなんとか成り立っていたのだろう。しかしいつの間にか両者の関係は歪なものになっていき、部活動の存在意義が問われるようになっているのではないだろうか。




「まぁ時代が時代だし、仕方ないよね。」とひとことで片付けてしまえれば楽なのだけれど、私は自分の学生時代の部活動の存在意義を見つめ直してみては、現代の学生達のことを想像してしまうのだ。



現代の私に当たる学生達の居場所はどこにあるのだろう?





時代の移り変わりは不安と期待でできていると感じる。