お父さんに、ありがとうを言いたかった。


昨日こんな記事を書きまして。




うん、これは本心。もっと褒めてもらいたくて、そんな思いを文字に起こした。


でもなんだかわからぬもやもやが心の中に残っていた。それは父への恨みでも憎しみでもなく、むしろ私にたいする疑問だった。父が私に遺してくれたものはたくさんある。喜び、悲しみ、怒り、大切なものを失うと生まれる大きな穴。じゃあ私は?私は父に何を遺せただろう。


ふと頭に浮かんだ思いが私の心を震わせた。あぁ、そうか...私はお父さんにありがとうを言っていなかったんだ。


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もしかしたらどこかで言ったこともあるかもしれない。でも私は父へありがとうを言った情景が浮かんでこない。そうだそうだ、ありがとうをいう場面はたくさんあったのに「ありがとう」を言ってない。感謝はしていたはずなのに。


サンタは実はお父さんだと知ったのは小学5年生の頃だった。毎年毎年私の欲しい物をなんとか聞き出して準備をしてくれていた。捻くれものの私はサンタへあえて何が欲しいのか手紙を書かないときもあった。でもいつも枕元にはプレゼントが置いてあった。父は父なりに、私を愛していてくれたことは確かなのに。

私はありがとうを伝えそびれていた。威厳のある父の姿をみて怯えているだけだった。感謝の気持ちなど考えたこともなかった。今ならば、大人になった今ならば、父へありがとうを伝えられるんだ。私は今まで生きていた父へも、亡くなった父へもありがとうを言えなかった。私は何をやっていたんだろう。いつも自分のことでいっぱいいっぱいで大切なことを忘れてしまう。「また明日にしよう」と先送りにしてしまう。「また明日」は絶対ではない。明日はいつだって消えてなくなる。もし幼かった私がお父さんにありがとうを言えていたら、父は自殺しなかったかもしれない。私はあまり父には褒められなかったが、父も私に褒められることはほとんどなかったはずなんだ。


今ならば、今ならば言えるのに。



ごめんも言えない、ありがとうも言えない。なんで自殺なんかするんだ馬鹿野郎と父を殴ってやりたい。あんたは立派な父親だった。見てみろ私はこんなに立派な大人になった。その姿をちゃんと見届けろ!お前の目に私が映るか!?死んだら何も見えない。言葉も聞けない、言えない。なんで死んだんだよお父さん。



死は永遠の安らぎだという言葉もある。死んで救われることもある。生きるのは辛いことばかりだ。救いがたしかにあるわけではない。でも生きていれば「ありがとう」が言えるんだ。今生きている貴方に「生きていてくれてありがとう」が言えるんだ。だからこれは私の勝手なワガママだと承知の上で言おう。生きよう、つらくとも。どんなかなしみが降りかかろうとも、何度も何度もありがとうを言うよ。伝えられなかったお父さんへの思いをこめてありがとうを伝え続ける。



だから生きて、一緒に「ありがとう」を伝えあおう。それこそが生きることの喜びだと願いながら。