母は金メダリスト



私は母をひとりの人間として尊敬している。私が母だったら、母のように明るく強く振舞うことはできないように思う。

まだ若くして夫を亡くしてしまった妻、そういえば聞こえはいいかもしれないが、子供が残り、家のローンが残り、夫には自ら先立たれ、全てが母ひとりの背中に覆いかぶさってきた。
母は仕事を変え、生活を変え、そして家を支えてきた。女手ひとつで子供を大学までいかせるのは生半可な覚悟ではできなかっただろう。細い背中が逞しく見えた。母は私にとって唯一の支えだったのだ。


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日常をこなしていくことが当たり前ではないということを、気づくのは大人になってからだった。

当たり前のように仕事をして、当たり前のように家族をつくって、当たり前に子供ができて、孫ができて、お爺ちゃんお婆ちゃんになって...そんな「当たり前」が打ち砕かれた我が家の、破片をひとつずつ広いながら積み重ねてきたのが母の生き方だった。

ひとつの出来事に光があてられるのが世の中なら、その光の届かぬ暗闇で必死にもがいて笑顔を見せてくれたのが母だ。
母には必ずユーモアがあった。家の中では笑っていた。私が泣いても怒っても励ましてくれていたのが母だ。母は仕事の愚痴を言いながら、「それでもあんたに飯を食わせてあげないとね」...と、微笑んでいた。



夫の墓の前でも泣かぬ母の涙はどこに落ちたのだろう。



なんでもない日常をなんでもないと思えることが幸せだと教えてくれた。日々を生きることが如何につらくても支えがあれば、支えるものがあれば人は生きていける、そう気付いた私は母の背中を見て、少し小さくなったなぁと感じた。母は金メダルをとったわけでも、国民栄誉賞をとったわけでもない。芸能人の様に美しいわけでも、何処かの石油王になったわけでもない。それでも母は私の中では一等賞だ。母は金メダリストだ。




彼女自身は意識していなくても強く逞しく支えてくれた母の、背中を背負って生きていく。そして今度は私が私自身の「当たり前」を積み重ねていくのだ。