亡き父の香りがする


しばらく文章を書いていないと、新しく文章を書くことが億劫になる。明日でいいや、明後日にしよう。いやいややっぱり書かなくていいや、そういって消えて行った言葉がたくさんある。
本屋に行くといつも「私は死ぬまでにここにある本を全て読むことはできないんだろうなぁ」とどうでも良いことを考えたりする。時間が足りないのだ。文章を読むことに割く時間が。少しさみしくなって、そのあと高揚感が湧き上がる。この本の中に私の心を射抜く秀作がある。いつ出会うのかはわからない。もしかしたら一生出会えないかもしれない。でもふとした瞬間に手に取ることがあるかもしれない。人生は出会いの積み重なりだと思う。本も人も変わりなく。


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亡き父の香りがする。それは車の中、街中を歩いているとき、なんでもない日常の中から、自ら死を選んだ父の香りがする。

ただただこなすだけで必死だった仕事も少しずつ要領を得られるようになった。何も考えず身体を動かすだけだった日々からその仕事の意味を考えるようになった。なぜ自分はこんなに頭を使って疲れるまで考えているのだろう。


「どうして私はこんなに頑張っているんだ?何のために?」


頭の中をそんな思いがピリッと通りすぎた。考える余裕ができるのはときに恐ろしいことだ。私はなんのために頑張っているのだろう、そんなしょうもないことを考えるために仕事をしているわけではない。単純に楽しい、辛い、そんなやりとりを繰り返していれば人生はそれだけで充分な筈なのに、自分が生きてる意味とか、何をして生きていくことが最善なのかとか、そんな人生の命題の様なものを考えてしまう。

そういった思考に思いを巡らせているとき、だいたい父の香りがする。少し自分から命を絶ってしまう人の気持ちがわかってしまう。多分そんな人達は自分の人生について考えて考えて答えを出せずにいたか、もしくはそんな考えまで及ばないほど心身共に追い詰められていたのだと思う。
これから50年先までずっとこんな人生について考えたりするのかと思うと途方もない気持ちだ。出口のない迷路に迷い込んでしまったのではないか。人生なんてもっとシンプルでいい。シンプルがいいのかもしれない。こんなことを考えている時点で既に迷宮真っ最中なのだが。



これから歳を重ねていく度に父の香りを感じていくのだと思う。「あぁ、死にたくなる気持ちもわかるな。」なんて考えることも増えていくのだろう。父の想いを背負って生きるなどという大層な生き方は私にはできそうもないが、この香りは私だけが感じられるものなのだと思うと、少し自分の人生も楽しいものに思えるような気がしている。