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生育歴で人を知った気にならないでほしい


人を理解する上で生育歴とは切っても切り離せないものである。しかしその一方で、生育歴を把握しただけでその人のことを知ったように思うのは間違いだとわたしは思うのだ。


生育歴が私達に与える影響は大きい。人の生きた歴史、それが生育歴だといっても過言ではない。実際生育歴を知るとその人の背景や心情まで知った気になるような人間は少なくない。しかしそれは勘違いだ。生育歴が人を育てるわけではないのだから。

例えば全く同じ経験を積んだ二人が全く同じように育つ確証などない。個々に感じ方や思考の違いはある。これが個性だと私は考えているが、個性は潜在的に備わっているものもあれば、後天的に身についたものがある。これが即ち経験だと言えるだろう。しかし人は経験を単なる事象だと捉えがちである。経験は事象ではない、その事象に寄って得た知識や感情が経験なのだ。そこを勘違いしていると他者を捉えるときに齟齬が生じる。


例えば私という人間を生育歴のみで書き記すとしたら、「幼児期から厳格な父の元に育ち、厳しい躾を受けてきた。思春期に父を亡くし教師にも従順な生徒でもあったが、大学時代に不登校になりうつ病を患う。現在は治療継続中。」というあたりだと思うが、ブログひとつをとってもこの生育歴から掛け離れたキャラを感じる人もいるだろうし、あぁそんな気もあるなと感じる人もいるだろう。生育歴は私を構成する一部ではあるが、私の全てではないのだ。

全ての情報がそうである。情報はその一側面しか示せていない。生育歴もそのひとつだ。私は人を情報だけで判断するのは浅はかだと思う。なぜならそこに自身の経験、感情がないからだ。人を見るというのはそう簡単ではないのだ。それは歳を負うほどに、不可思議で奥深いものになっていく。


生育歴だけで人を知った気になるのは人生の無駄遣いだと思う。私は人の生の声が聞きたい。結局わからなかった、そんな人生もまたひとつだ。涙を流すこともあるだろう。それが装飾されつくしたものだとしても、人を理解するということを諦めたくないのである。