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行間を読んでもらいたがる人達

思考

世の中には「暗黙の了解」や「以心伝心」という言葉があるように、伝えずとも伝わることを善しとする人達がいる。行間を読むことを求める人達だ。彼等は口に出さずとも自分の思いが伝わってほしいという期待を相手に抱いている。また、言葉を交わさなくても思いが汲めることを優秀だと思っている。「行間を読む」ことを強いる人達。日本においてこういった人達は一定数いるのだ。

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例えば女の「好きな男性には言わなくても気づいてほしい、私の思い♡」なんていうのは完全に行間のそれだ。行間女と呼んでもいいだろうか。伝える努力を忘れ、ただ思いを汲み取ってもらいたいと懇願し、汲み取ってもらえないと機嫌を損ねる女達のことを。
空気を読む、行間を読むなんていうのは日頃の関わり合いがあってこそ成り立つもの、なし得るものだ。行がわからなければ間だってわからない。私達は色んな人達に思いを伝える方法がある。だけど方法が溢れすぎて取捨選択が難しかったりする。その様な中で行間を読む能力というのは社会の中で求められるスキルになってしまっている。
しかしその大前提を間違えるから人のコミュニケーションは違えてしまうのだ。

行間を読むなんてスキルは日頃の関わり無しには、その人とあの人の経験値が折り合っていなければ成り立たないのが大体だ。もっともっと、伝えずとも伝わるスキルより、伝わるように伝えるスキルを求められて行きたいのにと切に思う。


人との関わりはサボれば廃れる、頑張っても廃れるときがある。たまに上手くいったなんてことを繰り返していくしかないのが真実だと思う。

しかし私がどんなに声を大きくしようとも行間を読んでもらいたがる人達は消えないと思う。だってその力は日本の社会じゃ特に求められるから。ここで唾を吐きながら、作り笑いを浮かべて、空気や行間を必死に読み解くそれが社会人。矛盾を感じても矛盾を受け入れるしかない、それが社会人。正しいだけが正しいわけではないと、自分を納得させる悲しみを知った社会人。


笑いシワから溢れる涙は薄い発泡酒の泡に混ざり弾けて消えていった。