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私は妊娠できますか

日常


「先生、私は妊娠できるんですか」



ふとそんな言葉をつぶやいてしまった。私ももうアラサーだ。うつ病になり服薬も4、5年近く続けている。この間私は自分が妊娠して子供を育てるなど考えてもいなかった。そんなこと、そんなたいそうなこと、考える余裕もなかった。私にそんな権利などないと思っていた。うつは私に「お前は大人か?」と問いかけてきた。今もずっと問われている。お前はどんな人間なのかと。うつ病から復帰して仕事についている、そんなヒストリーを他人に話すと頑張ったねと賛賞の言葉をかけられるが、私は頑張ってなどいない。私よりも私の主治医や私の友人、私の家族のほうがよほど私に対して労力と思いやりを注いでくれている。そう気づくまでに20数年もかかってしまった。他人おらずして私は存在しない。貴方がいるから私は存在している。だから私は私を大切にできるのだ。



もうそろそろ同年代は結婚&出産ラッシュだ。できちゃった婚の話もチラホラ、早い子なんかは保育園をどこにするかと話をしている。私は大器晩成型だと私に言い聞かせている。まだまだこれからだからなんて言ったりして。

だけど最近体力の衰えを感じるようになった。前のように無防にお酒を飲むこともやめた。寝ることにも体力が必要なのだと知るようになった。周りはまだまだ若いんだからなんていうけど、いやしかし、私は今まで生きてきて最高に衰えている。他人がどうであれ私はそうなのだ。私が私に対してそう感じているのだからどうしようもないだろう。


若さはいつまでも続くわけではないと知ることができた私は少しずつ自分の人生について考えるようになった。仕事でキャリアを積みたい。お金を貯めてヨーロッパへ旅行に行きたい。大好きな人と二人きりの時間を楽しみたい。あぁ私にはこんなにもやりたいことがある。この人生のなかで一体どれだけの願いを実現することができるのだろう。私は私の家族が欲しい。自分の中の女性としての無意識が意識として滲み出るようになったのはここ1、2年の話だ。


周りに触発されたのもあるかもしれない。自分の体調が良くなったのもあるかもしれない。ようやく人生の歯車が円滑に回りだした実感がある。これはどうしようもない喜びなのだ。生きている喜び。つらいことをつらいと、嬉しいことを嬉しいと感じられるこの状態。たまらなく幸せなのだ。しかしその幸せは妊娠という幸せを除いた結果もたらされたものである。服薬をしている間は妊娠は難しいだろう。20歳そこそこだった私は妊娠の希望などかなぐり捨てて薬を選んだ。そうしなければ私の人生がなくなると思ったからだ。その選択に後悔はない。今の幸せだって薬がもたらしてくれた部分だってある。でも心の片隅で思ってしまう、「うつじゃなかったらこんな不安抱かなくてすむのにな」と。


そんな不安を感じながらこうも思うのだ。つらいことをつらいと、嬉しいことを嬉しいと感じることができるのが「人生の価値」だということを知ることができたのはうつになったからだと。ひとりではなくふたりだということに感謝できるのは孤独を知ったからだと。当たり前を当たり前ではないと、当たり前であることに喜びを感じることができるのは過去の自分がいたからだということを思うのも本当なのだ。人生というのは波のようなものなのだ。寄せては引いていくさざ波。時に人を混乱へ掻き立てる荒波。それを繰り返して最後に海へと還る、それが私の人生。



ならば私の水面は今、どんな状態なのだろうか。そして貴方の人生はどんな波を打つのだろうか。



妊娠できるのかと聞いた私に対して主治医はそっと写真を見せて言った。


「僕の患者さんの中の5人の人達が新しく子供を産んだ。みんな健康に産まれてきた。君もその1人にいずれなるだろうね。」




水面は柔らかく波をうって、そしてひとつになった。