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誰一人さみしくならない同窓会は存在しない




同窓会は好きじゃない。学生時代は人見知りもあったし友達は少なかった。でもだいたい友達には友達がいっぱいいた。そんなときいつも自分に自信をなくしてさみしくなるので、学生時代はあまり華やかな思い出ではない。


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同窓会を楽しむのはとてもいいことだと思う。別に同窓会を批判したいわけではない。むしろ同窓会がなくなったらそれはそれでさみしい。ただ私にとっては同窓会というものは参加してもしなくてもさみしさを感じてしまうというだけの話。

同窓会のお知らせがくると「また来たか...」とうんざりする思いと、お知らせが来てホッとするようなそんな裏表の思いを抱く。中学、高校、大学、だいたいみんないずれかで美味しい思いをしていたりする。「3年○組みんな最高!!地元最高!!」という言葉が好きじゃなかった。そういう言葉を躊躇いなく口にするのは大概その場所で美味しい思いをしてきた人だからだ。そこにいじめられていたAちゃんや、不登校のB君の存在が感じられない場合がほとんどだ。同窓会のお知らせがくると私はいつもAちゃんやB君が今どのように生きているのか考えてしまう。楽しくやってくれていればそれで良いけど、そう思うのだって私のエゴなのかもしれないけど。だいたいクラスで目立ったりしていた人達はいじめられるよりもいじめる側であるほうがほとんどだったし、そんな人達が自分の行いを美化して当時の環境を神聖化していたりするので不快だ。とはいえ、もう一度言わせていただくが、やっぱり同窓会を批判したいわけではない。同窓会と聞いてさみしくなってしまう人達も同窓会を楽しみにしている人達と同じくらいたくさんいると思ってるということを書きたかっただけ。

私は当時父が死んで間も無く家も荒れてたし、学校に救われていた部分も多分にあるけど、それでもその環境が私を苦しめていた部分もあるので、学校というものをただ良い思い出として遺しておくことができなかった。仕事をするようになって、社会人の楽しさや苦しさを感じながらも、やはり学校という場所に対して多少の負い目や引け目を感じてしまうのだ。かといえ誰が悪いわけでもないし、むしろ悪いのは私の未熟さなのだけど。

私は同窓会のお知らせが来てさみしくなる人間だけど、同窓会のお知らせが来なくてさみしくなる人間もいっぱいいると思う。幹事にも色々な事情があるとわかっていても、自分が所属していた場所に集まる権利すら貰えないのもさみしい。全員が参加する同窓会なんて地方の分校のような小規模なものじゃなければ無理なのではないだろうか。幹事さんおつかれさまです。


そんな色々な状態の人達が集まろうとする会なのだから、みんなが良い気分になるのは難しいと思う。正直ひとクラスに20人もいたら無理なんじゃないか?そんな予想すらたててしまうので、20年後くらいまでに誰一人残らず楽しめるような、そんな理想の同窓会が開かれることを期待している。自分は企画したくないので。