疲れた人へ


今日はなんだか疲れたな。そういえば昨日も疲れてた。一週間前も疲れていた気がする。疲れたし、ただ寝ていたいし、ハーゲンダッツでも食べたいし、ポテチを一袋一気に食べても誰にも咎められないでいたい。誰にも干渉されたくない。でも無視だってされたくない。そんなこと言ったって、無理だとわかっているのに。

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貴方が疲れているとき、身近な人も疲れているかもしれない。私は疲れていると「なんで自分ばかりこんな目に」と思うことがわりとある。自分ばかりということは実際にはあまりないのだけど、そう考えていないと自分を保てないというときもあったりして、そんなときは疲れを真正面から受け止めてる自分と、遠い天井くらいの場所から自分を見ている自分と、二人くらいの自分が存在している気がする。
楽しいときというのはそんな小難しいことは考えなくて「わー!!楽しい!!」「いえーい!!嬉しい!!」と湧き上がる感情をそのまま受け入れることができる。プラスの感情というのはとても扱いやすい。

つらいという思いや苦しみは真正面から受け止めるということ自体が難しい。通常ならば人の思考というのは負の感情を受け取り難く感じてしまうだろうから。そういったときは圧倒的成長なんて言ってマイナスをプラスに変えてみようとしたり、理屈を駆使してなんとかその感情を受け入れようとしたりで、まぁ負の感情というのはとかく扱いにくい存在ではある。


私は今疲れていることで、負の感情を受け入れることがとても億劫だ。だって頭も使うし、心も傷つくし、もっと疲れるとわかっているんだもの。誰だって疲れたくないし、できれば楽したいと思うときだってある。そう思うことは悪くないし、大切なのは、その思いを受け入れた上でどう動いていくか、どう考えるかだと思う。

私は引きこもり経験がある。半年くらい引きこもってた。そんなときは疲れることができない自分ということがショックだったりした。周りはバリバリ働いたり、遊んだり、そんな姿をネットで見ながら自分なんていなくなればいいのにと思っていた。引きこもりという枠の中でしか苦しむことができなくて、それが余計に辛かった。何言ってんだお前って思う人もいるかもしれないけど、わかる人がいてくれたら嬉しい。

私は外に出たかった。外に出て日差しがジリジリ熱いとか、自転車こいで汗だくになって疲れたりとか、その後飲むビールがうめーんだよこれとか言いたかった。動かない日常が怖かった。なにも感じていない自分がとても怖かった。


今バスや電車に揺られながら人混みの中でこんなことを考えて書いたりしているが、そんなことを当時の自分はやってみたかったんだということを思い出した。既婚には既婚の、独身には独身のそれぞれの枠の中の苦しみがあったりするのだろう。無職とサラリーマンのように。子供と大人があるように。それと同じで今自分が感じている疲れは今ここにいるからこそなのだと考えてみたりもする。そう思うとほんの少しだけ今この枠で苦しんでいる自分を肯定できるような気がしている。過去の私が今の私を励ましてくれているような気がする。あとはビールとから揚げと、一緒に乾杯してくれる人がひとりでもいればそれでいいかなって思えてくる。


疲れたのは動けたからだし、それだけ頭を使ってきたからだと思う。ちょっと休んでまた動いて、たまに泣きたくなったりもして、そんでしばらく経つとまた「ちょっと動いてみるか」なんて思えたりするから、人間というのは不思議だ。