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電話もLINEも完璧なコミュニケーションツールにはなれない


LINEは今やメジャーなコミュニケーションツールとして活躍するようになり、メッセージだって会話だって無料でポンポンやりとりできるようになった。電話が最初に製作されたのは1860年代、以来100年以上私達は顔を合わせないコミュニケーションを可能としてきたわけだが、どうもメールもLINEも私達の「人と関わりたい」という心を満たしてくれない。

携帯電話が普及したのは1990年代。3和音が奇跡のように思えた時代だ。折りたたみ携帯電話が画期的な発明に思えた。そんなガラケーも終わりの足音が近づいている。私はどこにいてもコミュニケーションをとることができる。テレビ電話で顔を見ながら話をすることだって容易になった。誰だって携帯電話を便利に思うし、不便に思うだろう。不便というのは何においてかというとコミュニケーションが当てはまるわけだが、いつでもどこにいてもコミュニケーションがとれるということが必ずしも完璧なコミュニケーションをとれるということに繋がるかというと、実際にはそうではないと言っていいと思う。

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簡単にいえばLINEや電話の不便さというのは「既読スルー」である。どこにいてもコミュニケーションがとれることで私達はコミュニケーションをとりたいという意思をより明確に表さなければならなくなった。即レスしなければ怒られる世界になったのだ。恋文を書いて送り、相手からの返事を粛々と待ち続けるという行為は今では殆どみられなくなった。便利になったことで相手のペースよりも自分のペースを優先しやすくなってしまった。これはコミュニケーションの上で大切な「間」を感じとる能力を削いでしまっているのではないだろうか。


とはいえ、LINEや電話が無くなれば完璧なコミュニケーションをとれるのかといえばそうではない。現代においてLINEや電話は必要不可欠な存在だと言っても過言ではないだろう。伝えたいのはそこではないのだ。私達が便利なコミュニケーションツールに気をとられて直接顔を合わせて熱を感じながら情緒的なやりとりをすることを軽んじてしまってはいないだろうか、伝えたいのはそこなのだ。簡単にコミュニケーションがとれるようになってしまったあまりに、コミュニケーションがとれるということの幸せを忘れてしまわないか心配なのだ。便利な世界は不便な心を作りやすいと私は思う。例えば喧嘩だって人同士の関わりの上では特に重要な役割を担っている。どうしたって人間は誰かとのコミュニケーションをもとりたくなってしまう生き物だ。1/3も伝わらない純情な感情を伝えたい生き物なんだ。だからコミュニケーションがとれるということは素晴らしいことだというのは忘れてはいけないことなんだと思う。手紙を書いて返事を待つときのあの不安と高揚感は忘れずにいたいと思う。それがコミュニケーションをとることの醍醐味だと思うから。


SkypeだってLINEだってかわらない。いくら便利になったとしても誰かとコミュニケーションがとれる幸せを忘れなければ、私達はその便利さを感謝しながら生きていけるだろう。そして人との関わりに深みが増すならこれ以上の喜びはない。