なぜ過去を美化してしまうのか


世の中には「なぜ」「どうして」と疑問に思うことが星の数ほどあって、そのひとつが「過去を美化する」という事象なのですが、わりかし誰もが一度は経験したことがあるのではないでしょうか。ここでこんなことを書いたとしてもおそらく納得のいく回答はでないだろうし、どんな状態でも過去を客観的に見ることができると少し生きやすくなるような気がしています。



例えばキラキラのキャンパスライフ、懐かしの母の味、昔の恋人...数えあげたらたくさん出てきます。そこに懐かしさを感じるとき、私達はふと何気無く、当たり前のように、過去を美化してしまいます。それ自体は何も悪いことではないですし、むしろ過去を慈しむことができるのは幸せなことなのですが、時たま人は美化された過去に捉われてしまうことがあります。


おそらくどんな物事であれ、人であれ、良いところと悪いところの両方があって、これは言い換えるとしたら好きなところと好きじゃないところとでも言えるのかもしれません。過去のことを思い出すときそれがトラウマ的なものでない限りは過去の良かった部分を思い出すことのほうが多いのではないでしょうか。過去の幸せを思いだすと少しだけ幸せなときが再現されますからね。そうやって思いだす回数が増える度、私達は過去の出来事を選別しているのです。イメージとしては何回も振るいにかけて最後に残った砂のような金色の粒を、まるで最初からそこに金色の粒しかなかったかのように見てしまう。それが過去を美化するということのように思います。



砂の様な金色の粒だけを集めて昔を美しく語るのも良いですが、そこにあった砂利を愛おしいと感じることもまた美しいですし、振るいにかける行為も含めて大切な過去だったのだと受け入れられると良いのかもしれません。


抽象的ではありますが、今日はまぁそんな感じです。