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何歳まで女性を女子と呼んでいいの?



全般的に友人が少ない私にも少しだけ馴染んでいる女性グループというものはあり、たまに集まって学生時代のあれこれや結婚出産やらなんやらかんやらで話が尽きることなく喋り続けることもある。これが毎日だとしんどいけどたまに集まると楽しいなという満足感を得られるので同性の友人は貴重だなって考えたりする。


そんな集まりのことを「女子会」と誰かが名付けた。「女子会」はだいぶポピュラーな言葉として馴染んでいる。しかし20歳代後半の、つまりアラサーといえる私が自分のことを女子と呼んでいいものか考えだしたのはわりと最近の話。なんでもかんでも「○○女子」と名付けたがりの世の中は、私に女子から女性へと意識を変えていく材料になっていた。いったい何歳まで女子を名乗れるのだろうか。少し女子会というものに参加して良いのか迷ってしまう、自意識過剰な女の姿がそこにあった。


女子会の話はエグい。○○さんはでき婚して□□さんは浮気して4年付き合った恋人と別れた。誰かのニュースが女子達の肴になる。いつだってそれは変わらない。Twitterで呟くように気軽に噂話をするのが女子会。それが良いか悪いかなんて私には決められないけど、どうやら女という生き物は噂話を担保にして絆を構築するようだ。男の話題が絶えないAちゃんは自分に批判がくるやすぐさま女子会に参加しなくなった。女子会は戦場だ。女はいつも何かと戦っている。周りと比較して、他人を見下して、自分は周りより一歩前に進んでいたい。そんな願望は私にだって多少あるのだ。結婚に、仕事に、得られるものはなんだってつかみとりたいのが女だ。女の社会進出がちょっと進んできた昨今、私達の生き方は複雑になっているように思う。自由になったといえば聞こえは良いけど、楽になったという印象はぶっちゃけて言うと無い。求められる理想の女性像の敷居が高くなってしまって何を目的に生きていくのかという人生の命題は個々の意志に委ねられるようになった。



友達ができちゃった結婚をした。付き合って半年も経たない年上の男性と。それを聞いて私はただただ遠い世界の話のように感じていた。もし自分が何かをきっかけにして妊娠したとしたら産むことを選べるだろうか。いいや、選べない。
また別の友達は家庭に入って夫と家を買い専業主婦をしている。昼間にやってるワイドショーの話を繰り返していた。
どちらの話もなんだか現実味を帯びてなくて、というのも自分自身が彼女達のように「これだ」という生き方を選びとる自信も勇気もないからだ。おそらく人生の中で幸せになるために選ばなければいけない選択肢はあまり多くなくて、どれを選ぶかによって女の幸せは姿を変える。簡単にいうと従来のように家庭に専念するか、仕事でバリバリキャリアを積むか、それとも家庭と仕事の両立を目指すか、だいたいこの3つだと思うのだけれど、周りの目は冷ややかで自分と他人を簡単に比べるし、「女の幸せは◯◯だ」という持論を投げつけてくるし、なんだかそれってとてもとても息苦しくてうまくない。

女性が自分で生き方を選べるようにはなったけれど、自分で生き方を選べる分批判も増えたんだと思う。そんな批判があったとしても「自分はこうやって生きるんだ!」と言えるほど自信がなくてなんとなく周りに流されてしまうのが現代なのかもしれない。


自分を女子と呼ぶことでそんな自信のない自分の姿を大人から遠ざけられるような気がしたのだろうか。真意はわからなくて戸惑い。20年、30年経ったとしても女としての悩みって大差ないのかもしれない。