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ネットの口コミはあてにならない


ネットの口コミで評価が良ければ実際に自分も良く感じるだろうという固定概念が自分にはある。

レストランも美容品も口コミで溢れている。他人の評価があれば信じられるという風潮はそれを利用しようとする人によって姿を消した。口コミがたくさんあってたくさん良いと言われてた。それを信じてみたけどなんだかうまくなくて不全感を感じた。そんな人によって口コミの「ヤラセ」が表面化した。口コミを信じてはいけない!口コミを参考にするな!そんな文言を見かけるようになって、何を信じたら良いのかわからなくなった。


何を信じるのか、何をどう評価するのかということについて。おそらく昔のほうが自己判断力をつけやすい世の中だったのではないだろうか。自分で足を運び、自分の手で触れる。五感を用いた経験はどんな噂よりも己の中で確信を導いてくれる。例えば井戸端会議なんてものは現代の口コミと言っても過言ではないだろう。人々は集い言葉というツールを主軸に情報を集める。そのとき人は言葉だけではなく、相手の声色や表情からも情報を得られるだろう。その場の環境だって情報だ。そのとき暑かったらその人は早く帰りたくて情報を敢えて短く伝えているのかもしれない。そんな諸々を得て情報を集約して人々は判断する。あそこの八百屋は新鮮で安い、ここの定食屋は味が濃い。そんな四方山話を積み重ねながら自分で物事を判断する力がついていく。


少し話しはそれてしまったが、人が物事を判断する時、様々な情報を集めるとより良い判断ができるという考えは往々にしてある。単純に判断材料が多いほうが客観的な視点を持ちやすいからだ。この考えで行くと口コミは情報が少ない。判断する材料が言葉しかない。足を運ぶより、人から伝え聞くよりかは情報が少ないだろう。私達はネットの特性を理解しなければネットを活用できない。ネットの特性とは「強い言葉が強い影響力を持つ」ということ。強い言葉とは何かというと「この美容品はすごく良かった」、「あのマッサージ店はひどい」等と言った感情のこもった言葉である。より主観的なものほど強さを増す。ネットというツールが言葉を重視していることもあるせいか、強い言葉ほど印象に残るものだ。その言葉を打ち込んだ人はもしかしたら静観した顔で何かを「ひどい」と批判しているかもしれない。しかしネットというフィルタを通してしまえば、何か一番に残るかというと「ひどい」というその言葉だ。私達はこのことを念頭に置きながらネットを利用していくことが求められるだろう。


「ネットの口コミはあてにならない」というくらいの気持ちで口コミを参考にする。それくらいの気の持ちようのほうがうまくネットを使える気がする。直接自分がその物、事に関われたら苦労はないのだけど。関わる余裕がないときに、口コミを参考にしたいのだけど。