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自殺を知らなければ自殺は減るのではないだろうか



ぼんやりニュースを眺めるだけでも自殺の報道が目につくような時代になった。新聞もテレビもネットも自殺をさも当たり前のように扱う。当たり前のように人が死に、当たり前のようにそれを聞き流していた。自殺は周知されすぎたのではないか。そんなことを某中学生のニュースを見て思った。


自殺を身近に感じるようになったのは父がその方法を選んだからだ。私にとって自殺は情報より先に事象として姿を現した。そういう背景もあってか自殺という行為をしたその後の世界もたくさん見てきたせいもあってか、自殺は手段として私の中に根付くとともに「自殺をするのは止めておこう」と抑止することにもつながっていた。

そもそもそれまでは自殺なんてほとんど知らなかった。どうやったら自殺できるのかなんて全く知らなかったし、知らなかったので選択肢にすら入らない。今の人達は大変だと思う。自殺が世の中に溢れすぎて自殺が選択肢に入りやすくなった。「つらいから自殺しよう」と考えやすくなった。死に方は調べなくてもニュースで教えてくれるし、情報に受身であっても死ぬ方法を知ることができる。自殺が周知されたことで自殺は防止できているのだろうか。私は自殺が溢れすぎてしまったと思う。


自殺者が一人増えても、特に何も感じない人がいた。自殺者は自殺者で、誰かの家族で恋人の○○さんではなかったからだ。そう処理するしかなかったからだ。自分を責めても解決には至らなかった。そして次第に考えることをやめていった。ひとつの情報として頭の中に入れることにした。「自殺」という方法で死んだ人がいるらしい。なんとなく記憶していた。


つらいことがあった。

自分が嫌になった。


消えてしまいたくなった。


死にたくなった。


自殺という手段があると知った。


自殺という手段を選んだ。





自殺しやすい世界って、生きづらい世界だよなって思う。なんとなく生きるということに寛容になりたいと思う。つらいことから逃げる人がいたとしても責めすぎてその人が消えたくならない世界。生きたいと思える世界。生きていて良かった世界。自殺を知らなければ、自殺を選ばなかった人がどれくらいいるだろう。そんなたらればの話しを繰り返しても。