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生きよう

思考 自殺関連


自死遺族を名乗って自殺はやめてと伝えてきた私が言えたことではないが、私は私自身なんか消えればいいのにと思うことがある。死にたいと思うことだって何度もある。どんな高尚な言葉を並べたところで、私の辛さはなくならない。私の悲しみは消えない。普通に仕事して、普通に家事もして、友人知人と会って笑い話をしたとしても現実は変わらなかった。

捉え方を変えようと思ったこともあった。何事もネガティヴに捉えてしまう私の心が悪いのだと、考えの癖を考えて、自分をとことん突き詰めたとて、気づくことは既に気づいてきたことと変わらない。つらい、かなしい、さみしい、それが理由を変えて繰り返されてきただけだった。うつ状態と言われてからずっと薬だって忘れずに飲み続けてきた。確かに私は成長したのかもしれない。大学を卒業できた。それなりに恋もした。やりたいことを仕事にできている。周りから見れば成功したように見えるかもしれない。でも私は相変わらず消えたいと思っていた。自己を肯定もできず、存在を否定することも叶わず。つらみ、くるしみ、かなしみが死ぬまで繰り返される。それがたまらなかった。私は何度苦しめばいいのだろうか、いったい何人の大切な人を失えばいい?出会っても出会っても終わりはいつも別れだった。私はひとりだ。ひとりでずっと仕事してお金を稼いでそれなりの努力を続けなくてはならない。そう、他人には頑張らなくて良いと言いながら、自分自身には頑張れ頑張れと尻を叩き続ける。それがやめられなくて死にたくなる。
つらいことが押入れを開けたときのようにドサドサと自分に覆い被さることに耐えられる自信がなかった。何をしても私は自信がない。生きていくことに対する自信が。


そもそもどうして私は生きているのだろうと考えたりもする。生きていていいのかと考えたりもする。ずっと薬を飲みながらこのまま生きながらえていくのか。何のために。私は熱意はある人間だ、人生で成したいことだってある。でもどんな想いも大義も社会の中では小さな米粒の様なものだ。ほとんどの人はある程度長く生きないと事を成せないように社会はできているのだろうか。うつ状態から死ぬ思いで社会に戻ってきた私はさらにまたつらい出来事で社会が積み重ねられていることを知ることとなった。






ただ、死にたいことが増えた分かどうかわからないが、生きていて良かったと涙することも増えた。うつ状態のときには無色だった世界が今では彩り豊かに見える。真っ黒に見えることも、明るい朱色に見えることもある。うつのときにはわからなかった世界が今では私のもとにある。夕日が美しかった。歴史を学ぶことが心底楽しかった。ごはんが美味しかった。たまにごはんも口を通らないほど気持ちが沈むときもあったけど、いいから食べなと言ってくれる人も増えた。社会に出た分人に出会う量も増えて、人に嫌われることも少なくなかったけれど、それでも私のことを大切に慕ってくれる人も少なからずいたのだ。父のあとを追って死ぬこともありかもしれないと思ったことも何度もある。自死遺族だし自殺に近い存在だから仕方がなかったと周りに許してもらえるかもしれないと思ったこともある。それでも、それでも、あと一歩のところで私を生へ導いてくれるのは自ら命を絶った父であり、私を想ってくれる周囲の人達だった。

父が私に教えてくれたものは偉大だ。それは人の命の重み。存在を慈しむ思い。失うことの悲しみ。それを教えられたから、私は今、貴方達を愛おしく思うことができる。それだけでもう、私の人生に意味はあった。誰かがひとりでも私の存在を欲してくれるなら生きよう。それが物だとしても、何者だったとしても、何度消えたくなっても、何度死にたくなっても。生きよう、死ぬまで。私は生きよう。ずっとずっと先の未来で生き抜いたと笑顔でいられるように。生きよう。