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美人のカジュアル化による努力至上主義の時代の到来

どうでもいい話 カルチャー


特別ブスとか美人とか求めない限りは世の女性陣に関して普通にかわいいと言わざるを得ないくらいファッションもメイクも発展しているしそれなりに身なりを整えて清潔感をだせば普通にかわいいと思う。

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UNIQLOで服を揃えることも可能です。100均でメイク用品も買えます。二重にしたければアイプチがあるし美人になることにさほど苦労しない時代が来たと感じている。そもそも美人の定義が「メイクをしておしゃれをした姿」を基準とするようになってからある意味美人というのは敷居が低くなったのではないだろうか。それなりをこなしておけばかわいいや綺麗は貰えるのだ。女は顔が良ければそれだけで社会で生きていける時代は終わって、美人であることをベースとして様々な実用性のあるスキルを求められる時代が訪れようとしている。美人はブランドではなくカジュアル化しつつある。もう結婚が永久就職とは言えなくなってきたのだ。

しかし其れ程悲観する必要はない。ブスでもそれなりをすればそれなりに美人なのだ。それくらいに美人は敷居が低くなった。綺麗になる努力をできるようになった。それにより訪れたのはポテンシャルより努力点が求められる時代。相対評価より絶対評価の時代である。

そうなってくると、努力できない人の扱いというのはより酷くなっていくものだ。これだけたくさんの道具や資源が揃っているのになぜあなたは努力しないのか?絶対的努力信仰である。努力ができない理由はそこに必要なく、努力するかしないか、それだけが重要視されるようになる。なんだかそのような懸念もある。同調圧力による努力主義。仮にそれがあるとするならば、美人に向ける努力も仕事においての努力もなかなかに苦痛なものだなと考えている。


まぁこれまでの話は仮定の派生にすぎない。一言でまとめると「高品質の大衆化に対する不安と若干の批判」というだけの話なのだが。


そうは言っても私もファンデーションを塗っている毎日だ。「努力せねば」という意識から解放されればそれに越したことはない。