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はてな文化的文献

カルチャー


今日は11月3日、文化の日である。文化の日には「自由と平和を愛し、文化をすすめる」という思いが込められている。この思想をもとに今回ははてなにおける文化について私見を交えた考察を書いていきたいと思う。


読者方々は「文化」とはなんだと考えているだろうか。私は文化とは人がいて初めて産まれるものだと考えている。そこには人の思いや振る舞いが表れている。時代を得て、人々をかき集めて、積み重ねられた行いが文化だ。ともすると文化というのは人さえ集まればどこででも産まれえるものなのかもしれない。おそらくはてなにおいては「はてな村」などと称されるそれらが文化だと言えるのかもしれない。正直個人としては文化などと明言できるほど形を成しているとは思っていないのだが、時間を積み重ねていくことでそれは文化になっていくのではないか、その様な希望的観測は抱いている。ネットを利用したサービスを文化と明言仕切れないのはまだそれだけの時間の経過を辿っていないからだ。はてなもまたそのうちの一つであるといえよう。



はてなの特性はどこにあるのだろうか。私ははてなブログ、特にはてなブックマークに独自の文化(的なもの)を感じている。はてなブックマークの特性とはブックマークをした情報への意見を可能としたコメント欄と、ブックマークによる拡散力であると考えている。この2つの特性によりはてなはてな独自の文化を作りだしていると言っても過言ではないだろう。情報収集と情報発信を同時に行えるコンテンツは今では当たり前だがはてなブックマークが設立された2005年当時のネット社会を鑑みると特に斬新な発想であったといえる。だからこそ情報に能動的な人々はこぞってはてなを使用した。そしてはてなによる情報発信という手段を獲得したのである。情報発信という手段を得た人間はさぞかし嬉しかったことだろう。自分の発信した意見にはてなスターという形で評価を貰える。それはある種自己を肯定されたように感じられただろう。そしてまた別の人がはてなで異論を唱える。活発な議論が行われるようになった。某ちゃんねるにも見られた傾向ではあるが、ネット初期〜中期にかけてのネットユーザーの発言というのは過激なものが多かった。しかしそれもネットの匿名性があったからこそという時代の流れを辿れば人として当たり前のことなのかもしれないと思う部分もある。はてなで所謂「手斧」と呼ばれるようなコメントも、はてな独自の文化であると言える。


はてな初代では「自身の考えを屈託なく主張できる場所」という点ではてなに価値を感じ一部のネットユーザーが集まるようになった。そこで独自の繋がりが生まれ人が集うようになり、少しずつ文化の種が育まれてきたのである。
しかし昨今はてなでも時代の変化を感じるようになった。ブログで収益を得るという考え方が少しずつ広がりだしている。私自身もさしてはてなにいた期間が長いわけではないのだが、これについては方々で議論が為されている。ブログで金を稼ぐことが浸透し出している現在が悪いかどうか今は判断することはできない。なぜならこれもある種の文化になるという可能性があるからだ。もしかしたらブログで収益を得るということと芸者、舞妓が踊りで収益を得るというのが同等だという価値観が大衆の総意になる場合だってある。その結果を知るのはもうしばらく時間が必要なのだろう。はてなという文化が未成熟なのは得てきた時間が少ないからだ。それと同時に何ものであっても時間の経過と人の繋がりによって文化になる可能性があるということを現代人は考慮する必要があるのだと考えている。

はてなによるブログ収入がメジャーになった時代、その時代に「自身の考えを屈託なく主張できる場所」は遺されているのだろうか。過去の姿が形を変え別物になったとしても、それもまた時代の流れなのであろうが。初期のはてなに魅力を感じていたものとしては今後のはてな文化的変遷には憂慮する部分もあるというのが正直な意見だ。