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弱くなっても優しい人間でありたい


別に自分が優しい人間だと思ったことはないけど弱い人間であることは確実なのだ。お前は繊細で扱いづらい奴だと言われたこともある。その度に傷ついていた。傷つきながら少しずつ自分の心を広げていくしかないと思った。実際は傷つくことに慣れていくだけで別に私が寛大になったわけでもなんでもなくて、ただただ傷ついていくことに慣れていっただけだった。

うつになんかなりたくなかった。もっとやりたいことに全力で飛び込めるだけの精神的かつ体力的余裕があれば良いのにといつも思った。だけど私の弱さではいくら背伸びをしたところでいずれは心に支障をきたしていたと思う。そう思うと私は何のために生まれなんのために生きているのかと考えてしまう。タフな人はそんなこと考えて時間を浪費したりはしないのだろう。私が悩んでいることのそのほとんどが他人からしたら余計なことなのだ。わかっているそんなこと。わかっているけど悩んでしまうから苦しい。

しかし弱いからこそ同様に弱い人の気持ちを理解できるのかもしれないと思うことはある。いや、全てを理解するなど私の驕りでしかないが、せめて私の気持ちを吐露することで誰かが少しでも自分と似たようなことで悩んでいると感じてもらえるかもしれない。それがなんだというわけでもないのだが、ただの自己満足だ。でもきっと世の中はそんな弱い人の自己満足でできているようなものだ。だって書くことも描くことも歌うことも踊ることもすべてはその人の気持ちの吐露だろう。その方法が人によって違うというただそれだけのこと。


他人の気持ちに寄り添えることが優しさならば私は弱くなっても良いのではないかと思う。他人の心を知らない世界は孤独でさみしい。私は弱いのでそんな世界では生きていられない。だから弱くとも弱くとも、自分の心だけは蔑んではいけない。うつでできることが限られたとしても、人に馬鹿にされても、それでも自分の心の弱さとはとことん向きあいたい。それで何か気づくことができたらそれは素敵なことで、それを誰かに理解してもらえたらすごくすごく素晴らしいことなんだと思う。だからうつと付き合いながらなんとか生活している自分に「頑張ってるね」と声をかけてくれる人がひとりでもいると、弱くともがむしゃらに生きていて良かったのだと世界に認められたような、そんな気がして自分の弱さが少し受け入れられるような、そんな気がしているので今もこうやって自分の心を吐露し続けている。