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さぁ、ブログの話をしよう

カルチャー
最近アウトプットが苦手になってきたように思う。ブログなんか書けて1000字、それ以上になると頭痛がしてくる。それくらい余裕がない中で書いてもなんか満足いかないというか、うーん、なんか書いてみたはいいものの、私の言いたいことを100%文章化できているかというとそうではないんだよなぁと考えたりする。そう考えてみては、どう書いたら満足できるかどうか色々工夫してみる。それが書くことの楽しみだと思う。

ブログは書くことがメインだったけど、ここ半年くらいは読むこともとても好きになった。読むことに関心を持つようになるとブログの変化なんかがよくわかる。今日はこんなブログを読んだ。


みんな大好きしっきーさんのブログだ。メディアクリエイターからメディアの変化の話まで色々書いてあるけど、面白いなと思った。私はブログのすごいところって、文章を通してその人の性格だったり人情だったり、所謂筆者の人となりが伝わることだと思う。だから内容で魅力を感じるというのは当たり前だし、書いてる人の顔が見えると愛着が湧くっていうのもあると思う。それってブログだからできることだと考えている。だから私はブログが好きなんだ。だから私の好きなものの話をしよう。正直メディアとかまで大きな枠を捉えて的確に指摘できるほどの頭の余裕がないんだ。でもブログの話はしたいんだ。さぁ、ブログの話をしよう。どんなブログを貴方は読みたいと思うのか、それを私は知りたい。


昨日こんなTweetをした

所謂互助会なんかの言及なんだけど、おそらく人によって互助会の定義が違うと思う。私が言いたいのは好きな人が書くブログなら「読みました!」って記録を残したいよねって話。それをするのにはてぶはちょうど良かった。あとでまとめて読めるし、Twitterと連携させれば拡散もできる。好きなことを広めて色々な人に知ってもらいたいというのは昔々の大昔から人間に備わった当たり前の欲求だ。例えば誰かの経験や心情をブログで読む、自分と同じ気持ちの人がいて嬉しい、自分と異なる考えの人がいるという発見、ブログを通して人を知る。それが私がブログを読む一番の理由だ。



その理由は共通のものだと思っていたけど、最近はブログの立ち位置が変わりつつあるのだろうか。ブログはお金を得る為のツールとして使われるようになった。所謂アフィリエイトですけど、私はアフィリエイトを批判したいわけではない。ただアフィリエイトで儲けるためにはアクセス数を稼がなければいけない。そうなると自分という商材だけでは足りないのだろう、それこそ瀬戸内寂聴明石家さんまみたいな破天荒な個性や特異な経験でもないと大衆の関心を引くことは困難だ。そして瀬戸内寂聴明石家さんまでもない人間が選んだのはある種の炎上商法だったりしっきーさんの言う自己啓発だったりする。そういうブログがたくさん出てくるようになった。そんなブログ達を読んで思うのは「なんかどのブログも大して変わらないな」という虚無感だった。みんな自分の個性より儲けるためのスタイルを重視しているみたいで、読んでも読んでも筆者の顔が全然見えない。それは他人の心に触れることを楽しみにしていた読者としてはとても寂しいことだった。


自分の考えを書いたことで意図せず炎上したことは私にもある、多分そういう人は少なくない。そんなことを繰り返しながら書く人は書くことに磨きをかけていくのだろうけどもはや炎上すらお金を得る為の方法でしかないのだろうかという疑念すらある。



「みんな、何のためにブログを書いてるの?」




この問いは他者に問うことで自分への問いにもなり得る。私はなぜブログを書いているのか、やはり私は誰かに私の心を知ってほしいのだと思う。そして私の心を読んで、貴方がどんな心になったのか知りたいのだ。きっとそこには相容れない思いがあったりすることもわかっているのだけど、それでもひとりで寂しい夜を過ごすよりはブログやTwitterを通して普段触れ合わないような人と交流することが好きだ。そう考えると私のブログというのは手紙のようなものなのかもしれない。私は「私」を方法としてブログを書いている。そういう書きかたが一番心地よいと思うから。


自分の正直な気持ちを書くことが制限されるなら、私はアフィリエイトは使わないし、今まで使わなくて良かったと思う。心があるブログが好きで、これからもたくさん読んで、書いていきたくて、でもそれが時代の流れにそぐわないものなのであれば淘汰されることも致し方ないのかもしれないと、少し諦めかけてしまっているんだ。