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25歳を過ぎたら自分を振り返る時間を持とう



1日は早い。一週間はもっと早い。まだ冬が続くのかと思ったらもう桜が散っている。年長者ほど「年をとるほど1日が早く感じるのよ」と言っていたけど、三十路も近づいてきてようやくその言葉の意味が少しだけわかってきた。きっとあっという間に三十路なんか過ぎ去ってしわしわのおばあちゃんになっていくんだ。そうなったときに私の目に映る世界はどうなっているだろう。

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学生時代も毎日忙しいなと思ったものだけど、社会人のそれとは全く異なる。家のことをやり、仕事をやり、社交を怠ることなく毎日を過ごすと一週間なんてあっという間だ。学校に行って部活に勤しんでいればよければ良かった時代とは違うのだ。そんなことを振り返る時間すらなかったのだと久しぶりに気づいたのは、今日は何の予定もなくて考えたいことを考える時間が持てたからである。

25歳を過ぎると人は忙しくなる。休日返上で出勤するほどに仕事に責任が伴う。周りもそれぞれのライフステージを歩む、その姿を目に焼き付けては私の人生はこれでいいのかと考え、その思いすらも朝がくれば満員電車の中に溶けて消えていく。最近気づいたことだが、自分の時間というのは作ろうとしないと得られなくなっていくものなのだ。物理的な余裕もそうだが、わざわざ自分を振り返る時間なんて持つ心の余裕はなかなか作れない。それでも人生は進んでいく。何も考えなければ毎日をこなすだけでも充分生きていける。でもふとしたときに思うのだ。

「本当にこのままでいいのだろうか」と。



だから私は忙しさに流され始める25歳あたりから積極的に自分を振り返る時間を持つことをお勧めする。それは自分の生き方、人間関係、仕事、恋愛、考え方、全てにおいて自分を見つめ返す時間だ。私達にはもう成績表で先生が自分に対する評価を描いてくれることなどないのだ。誰かが自分を振り返ってくれたとしても、自分の全てを見てくれるとは限らない。大人になればなるほど色々な世界で生きている自分がいるのだ。自分を一番振り返ることができるのは自分だ。何も反省してみようということではない、どんなことがあって、そのとき自分がどう感じて何を考えていたかを見直すことは未来の自分にとっても有益になるはずだ。結果ばかり見られがちな世界だからこそ過程を重んじることで、その結果の意味も知ることができるだろう。それを数年数十年続けられたら人生も味わい深くなるような気がするのは私だけかもしれないが。


そんな自分の人生の、意味を探しながら、ずっと生きている。