落ち込んでもありがとうは忘れないようにしたいと思う


落ち込んでいるときはだいたい自分のことを責めている。なんであれができないんだろう。どうして自分はそれなんだろう。そんなゴールのない問いかけを続けて「自分はダメ人間だ」と凹む。理想が高いと言われることもある。頑張ってるよと励まされることも。でも心にシャッターが降りているとき、そんな労いの言葉すら受け入れられなくなってしまうのだ。


自尊心というのは自分のためにあるべきだと思われがちであるが、私はある程度の自尊心が他人をも救うだろうと考える。

他人からの言葉を素直に受け入れられないと、その言葉をかけてくれた他人を責めているような気がしてしまう。私の気持ちなんかわからないくせに。私のつらさなんて誰もわからないじゃない。私が他人によく言う言葉だ。もちろんわかるわけがないのだ。他人の気持ちなど。私のほうこそ労わりの言葉をかけてくれた他人の気持ちをないがしろにしてしまう人間なのだ。自分の心をないがしろにしていると他人の心もないがしろにしてしまう。というよりも、どう扱えばいいのかわからなくなってしまう。

「励まされている自分」というのもある程度受け入れてよいのだ。「〜〜みたいないいところもあるじゃない」と言われたらきっとそれが私のいいところなのだろう。自分にいいところなんてあるのかと思う、それでも、他人がそう感じてくれていることを否定しなくてもよい。受け入れられないのなら感謝すればいいのだ。時間が経ったら受け入れられるかもしれないから。だから労いの言葉をかけてくれた人がいたことを、いることを、忘れないでいられればいい。



そうしたらいつかの未来でありがとうが言えるだろうから。