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きっと消費し尽くされて死ぬ


超消費社会である。


何ものでも金に変えていく社会。何も壊れていなくても新しい物を買う。購入と廃棄によってまわっていく社会、ずっと昔からそうであったように。生きるためには何かを買わなくてはならない。買うためには働かなくてはならない。〜せねばならないと思いこむ必要もないほど思いこんでいる。


私は特に、最近の情報の消費の早さは凄まじいと思いながら世の中を見ている。◯◯が亡くなった、△△が結婚した、炎上した、そんな話がいったい今年だけでいくつ出たことか。私はそれがあまり快く思わない。今や人生譚すらお金にする時代である。人の心すら商材になればなんでも良いと思う人達がいる、そうでもしないと金が入らないからだと思う。とにかく消費が一番お金になるのだ。だからどうやったら消費されるか考える、だから端的で瞬発力のあるものばかり選ばれる。私は世の中の炎上をそのように見ている。今や人の心すら消費の対象なのだ。人の思いすら、時間すら、命さえも。瞬く間に消費されていくその中で、価値すらわからなくなる世界では。


しかし消費されたものは無価値なのだろうか。消費された人生は無価値か?そんなことを考える。そしてそんなことはないと思うのだ。だって消費されても人生は続くから。周りが笑って飽きたとしてもその心はなくならないから。周りからあいつは終わったと言われても、それでも価値だと思えるものが自分の中にあればいい。そう思いたいと思える心があれば、それを信じればいい。消費されても消費しきれないものが心だと思うから、感情は尊ぶものだと信じたい。

死んで消えても信じていたい。