そして「なんでもないよ」と言う

 

 

 

「なんでもないよ」と「大丈夫だよ」はとても良く似ている。自分を守るための、他人を安心させるための、その場しのぎにも似た音の羅列。

 

 

「なんでもなくないよ」「大丈夫じゃないよ」そう言っている人を聞いたことがない。多分他人に聞こえるような場所ではそんな言葉は言えないのだ。輝いた今日を彩るSNS、煌びやかな人を推し並べる雑誌やテレビ。こういうのをそういうものなのだと流し込めない日々にうんざりする。もういい歳なのに、大人になっていく自分と、幼いままの自分と、「なんでもないよ」と「大丈夫だよ」だよで必死に取り繕う中身の溶けた自分と。

 

心に一歩踏み込む勇気がない。他人のネガティヴな感情にも、自分の自己嫌悪にも一歩踏み込んで相手に問うたり自己開示をする勇気がない。勇気がなければできないと思っていること自体が幼さなのかもしれないけれど、確認する術もなく見ないふりをしている。

みんな「なんでもなくないよ」って言える人に見える。隣の芝生は青いというが、なぜか青いという確信のような妄想だけ広がって、私も彼や彼女等のようになりたいと妬み、自分を認めずにただ青く見えるだけなのかもしれないという事実を見ずに、自分に都合の良いものだけを見る。

 

 

自分が自分をなんとかしたいという思いばかり先行して、いつも他人の気持ちとか、相手がなんて思うかとかそういうのを大切にしようとする余裕がないんだと思う。本当は「なんでもないよ」って無理して笑ってる人がたくさんいるんだって事実だって知っているのだから。もっと他人の感情を受け入れて必要なものは受け止めて流していいモノはサッと流して生きていきたい。

 

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だってもしかしたら、私が「なんでもないよ」「大丈夫だよ」と自分を守ることで相手を傷つけているのかもしれないのだから。一歩踏み込んだ思いを拒否してしまっているのかもしれないのだから。推測と憶測を広げていけば他人の心なんで如何様にも感じられる。本当に青く見えていただけで、同じ色をしている人だっているはず。わかっていても余裕がなくて受け入れられない事実がたくさんあって、きっとそれらを受け入れることができるように悪戦苦闘しながら生きてるうちにおじいちゃんおばあちゃんになって死んでいくのだろう。

 

 

 

これという答えが見つからないことに不安ばかり広がるけど他人の芝生も同じ色。自分の芝生も大した色ではないし、歩けないほどではない。貴方の芝生もそうだったら「こんなもんか」って一緒に笑うんだ。

 

 

そして「なんでもないよ」と言う。

 

 

これくらいの心の曇りなんで誰でもあるものだ。貴方にも私にも、そういう日があって、なんでもない朝が待ってくれている。